この話は、ある田舎の村で毎年10月の満月の夜に起こる不思議な出来事にまつわるもの。
その村には高台があり、村人たちはそこから満月を見るのを楽しみにしていた。
特に10月の月は美しく、満ちた月が夜空に輝く様子を村人たちは「月見の夜」と呼んでいた。
その夜、村の若者Sさんは、友人たちと共に月見をしようと高台に向かった。
月が空に昇りきるころ、彼らはふと不思議な光に気づいた。
森の奥、木々の間から淡い炎のようなものが揺れている。
まるで手招きをするかのように狐火が舞っていた。
「なんだろう、追いかけてみるか?」
友人たちは笑っていたが、Sさんはその狐火に強く惹かれていた。
彼の中で何かが囁いているようだった。
「あの火に近づいてみろ」と。
気づけばSさんは仲間の声も聞かず、一人でその火を追い始めていた。
狐火は森の中をあっちへこっちへと飛び跳ねるように動き、Sさんはそれを追い続けた。
しんと静まり返った森の中、彼の足音だけが響く。
気づけば高台からずいぶん離れ、どこにいるのかも分からなくなっていた。
狐火はSさんを導くようにどんどん進み、気がつくと目の前に見知らぬ広場が広がっていた。
草むらの中、ぽつんと立つ一本の大木が見え周囲には誰もいない。
背筋が寒くなるような何かが、Sさんをじっと見つめている気配が漂っていた。
「ここ、どこだ?」
Sさんは狐火を見失い、辺りを見渡したが帰り道が全くわからない。
焦りが彼を包む中、ふと風が吹き木々の葉がカサカサと鳴った。
その音に混じって不気味な囁き声がかすかに聞こえたが、内容はまるで理解できなかった。
辺りは月明かりだけが照らしているのに妙に暗く感じた。
何かがおかしい。Sさんはそう思い足早に森の中を戻ろうとしたが、何度歩いても同じ場所に戻ってしまう。
何度も何度も同じ広場にたどり着く。
その夜、Sさんは村に帰ることができなかった。
翌朝、村人たちがSさんを探しに森へ向かった時、彼は狐火を追いかけた高台の近くで倒れていた。
驚くことに森の奥深くまで迷い込んだはずの彼は、村のすぐ近くで発見されたのだった。
Sさんは無事だったが、彼の目には何か怯えたものが宿っていた。
あの広場、あの狐火、そして聞き取れない囁き声・・・彼はそれを誰にも話さなかった。
その後、村では「月見の夜の狐火」に関する噂が広まり、誰もその夜には狐火を追いかけることはなくなったという。