Hさんがその話を聞いたのは、地元の漁師である叔父からだった。
その漁師町には昔から奇妙な噂があり、干潮時の夜に現れるという「白い足跡」の話だ。
「誰かが歩いた跡のようなんだけど、途中で必ず消えるんだ。
消える場所の近くでは、妙に風が冷たくなる」
叔父はそう話しながらも、それ以上詳しく語ろうとはしなかった。
好奇心を抑えきれなかったHさんはその話を友人たちに伝え、一緒にその足跡を探しに行くことになった。
時期は夏の終わり。
夜の海風は涼しいがどこか湿り気があり、浜辺には波の音だけが響いていた。
干潮時刻を狙い、Hさんたちは懐中電灯を手に砂浜を歩いた。
しばらく歩いたところで、友人の一人が小声で言った。
「あれ見て」
砂の上に一列の白い足跡が続いている。
靴を履いていない裸足の跡だが普通の足跡とは違い、輪郭が不自然に白く浮かび上がっていた。
まるでそこだけ別の砂が使われているかのように。
Hさんたちはその足跡を辿った。
足跡は沖へ向かうように伸びているが、誰かが歩いている気配はない。
どれだけ進んでもその先に人影は見えないのだ。
そして足跡が突然途切れる場所にたどり着いた。
そこは波打ち際から少し離れた場所で、跡は完全に消えていた。
周囲を見渡しても足跡が続いている様子はない。
「ここで終わり?」
そう呟いた瞬間、冷たい風が吹き抜けた。
それまで心地よかった潮風とは違い、骨の芯まで冷えるような異様な寒さだった。
Hさんは寒気を感じ他の友人たちも言葉を失っていた。
その場を離れようとした時、風に紛れて何かが聞こえた気がした。
それは声のようだったが何を言っているのかは分からない。
耳元でささやくような、かすかな音だけが残った。
その後、Hさんたちは急いで砂浜を離れた。
帰り道で何も話さず、誰も振り返ろうとはしなかった。
地元の老人によると、その足跡はかつて嵐で海に呑まれた漁師のものではないかと言われている。
彼の魂がまだ彷徨っており、波間に帰ろうとしているのだ、と。