Mさんが体験した話。
ある日、彼は友人とともに山中の渓流へ釣りに出かけた。
人気のないその川は、地元では魚影が濃いことで知られていた。
朝早くから竿を垂らし、静かな時間を楽しんでいた。
昼を過ぎた頃、Mさんがふと川面を見つめていると、水中で何かが揺らめくのに気がついた。
魚が跳ねたのかと思った瞬間、水面からスッと手が現れた。
それは細い人間の手のようで、腕まで水面に浮かび上がりMさんの方へ伸びてきた。
驚いたMさんは叫び声を上げ、すぐに友人を呼んだ。
しかし、友人が駆けつけた時にはその手は跡形もなく消えており、川面は何事もなかったかのように穏やかだった。
「溺れている人か?」
とも考えたがこの川の水深は浅く、到底人が沈むような場所ではない。
友人に「気のせいだ」と笑われ、気まずい空気の中でその日は釣りを続けたが、Mさんの頭からあの手の映像が離れなかった。
数日後、一人でやってきたMさんは地元の釣具店でその話をすると、店主は眉をひそめた。
「それ、よく聞く話だよ。
あの川ではたまにそういう手を見たって人がいる。
でもね、見た人はみんなしばらく山に入らない方がいいって言われてる」
さらに地元の老人の話によれば、あの川には「川の住人」と呼ばれる何かが棲んでいるという。
人が川を汚したりその場所に無礼を働いた時に、手が現れるのだとされている。
その手を見てすぐに山を離れなければ、何らかの災いが起きるとも言われていた。
Mさんはそれ以来、あの川には二度と行っていない。
今でもふと川のせせらぎを聞くと、あの不気味な手の感覚がよみがえるという。