これはTさんが高校生の夏、田舎の親戚の家に泊まりに行ったときの話。
その村は山間にあり、携帯の電波もろくに入らないような場所だった。
Tさんにとっては退屈な時間だったが、近所の子どもたちと話すうちに一つだけ気になる場所の話を聞いた。
「崖の上の祠、ぜったい行っちゃダメだよ」
「近づいたら、目ぇつけられるんだって」
どうやら村はずれ、断崖の上にぽつんと建っている古い祠があり、地元の人間は子どもどころか大人でも近づかないという。
理由を聞いても、みんな曖昧に笑って「そういう決まりなんだよ」としか言わない。
Tさんは都会育ちでそういった「村の怖い話」は迷信だと思っていた。
その晩、Tさんは肝試しのつもりで、一人こっそり祠に向かうことにした。
夜道を懐中電灯で照らしながら村を抜け、小道を登っていく。
やがて木々の間から崖が見えてきた。
祠はその崖の端にぽつんと建っていた。
屋根は苔むし、扉は閉ざされたまま。
まわりには小石を積んだような塚がいくつも並んでいる。
Tさんが祠の正面に立った瞬間、視界が歪んだ。
ぐにゃ、と風景が波打つように揺れ、耳鳴りがした。
頭の奥で「ひぃ…」という声のようなものが響いた気がして、慌てて後ろを振り返った。
だが誰もいない。
それでも誰かが後ろに立っているような、じっと凝視される感覚が強くなっていく。
空気が粘りつくように重く、吐く息すら白くなりそうな冷気が足元を這っていく。
「やばい…帰らないと」
Tさんは背を向けて駆け出した。
だが走っても視線がついてくる。
背後にぴたりと張り付いたように、確かに「誰か」が見ていた。
草を踏む音、衣擦れの音、何もないはずなのにすぐ後ろで音がする。
村に戻ってもその視線は消えなかった。
家の縁側でひと息ついたTさんの首筋に、すうっと冷たい風が触れる。
びっくりしてふり返っても誰もいない。
その夜、Tさんは眠れなかった。
布団に潜っても、部屋の隅から誰かがこちらを見ている気配がする。
布団の中で目を閉じるたび、まぶたの裏に祠の中の映像が浮かんだ。
中には女のような、顔の判然としないものがうずくまっていた。
翌朝、Tさんは熱を出し、親戚の勧めでその日のうちに村を出ることになった。
別れ際、近所のおばあさんがぽつりとつぶやいた。
「あの祠はね、昔、崖から落ちた子の魂を鎮めてるんだよ。
近づくと寂しくてついてきちゃうのさ」
それからしばらく、Tさんの部屋では、決まって夜になると窓の外から視線を感じるようになったという。