この話は、大学生のIさんが体験した出来事だという。
Iさんは、郊外の二階建てアパートの一室に一人で暮らしていた。
夏も終わりに近づいたある夜、部屋の窓を開けて夜風に当たりながらスマホを見ていた。
その時だった。
「コン、コン」
耳をすますと、窓のすぐ下から軽く叩くような音がした。
最初は風で何かが揺れてるだけかと思ったが、音は不規則に、けれど明らかに意図をもって続いた。
気になって身を乗り出して窓の下を覗き込む。
すると真下の外壁に…手が張りついていた。
それは人間の手のように見えたが、何かがおかしい。
まず地面からの高さが異常だった。
一階の窓も越え、どう見ても地面からは届かない位置にある。
そしてその手は不自然にピクリと動いたのだ。
「うわっ!」
思わず窓を閉めて、カーテンを引いた。
朝になって恐る恐る外に出て窓の下を確認すると…泥でくっきりと手形が残っていた。
指の先まで妙に細く、ぐねぐねと曲がっているように見えた。
その日の夜は窓を閉めて寝たが、深夜にまた「コン、コン」とガラスを叩く音がした。
今度は窓のすぐ外からだった。
翌朝再び窓の下を見ると、泥の手形がふたつに増えていた。
日が経つごとに手形は増えていき、三つ、四つ、五つと並び、まるで何かが這い上がろうとしているように見えた。
だが不思議なことに、誰かがその場に来た痕跡はなかった。
地面には足跡一つないのに、手形だけが高い位置に現れていた。
耐えられなくなったIさんは、友人のTさんを部屋に泊め、夜の様子を二人で見張ることにした。
午前二時をまわった頃、また「コン、コン」という音が窓を叩いた。
Tさんがそっとカーテンの隙間から外を見ると、外壁に何本もの手が張りついていたという。
それらはぐにゃぐにゃと指を動かしながら、じわじわと窓の縁まで這い上がってきていた。
Tさんが叫んで電気を点けた瞬間、それらはふっと消えた。
翌朝、今度は窓の真下ではなく、窓のすぐ脇に泥の手形がついていた。
まるであと少しで中に届く位置。
Iさんはすぐに部屋を引き払う手続きをし、しばらくは友人の家を回っていた。
引っ越しの前日、最後に窓を見たとき、そこにはびっしりと並んだ手形がついていたという。
まるで何十もの手が、窓の内側へ入ろうと蠢いていたように…。
その後、その部屋に誰が住んでいるのかは分からないが、今でも何かが這い上がろうとしているのかもしれない。