Iさんは水源の点検を仕事としている。
山間部にひっそりと建つ、古い取水施設の担当だった。
その日も町の水道課から「水圧が安定しない」と連絡が入り、午後から一人で点検に向かった。
山奥へ続く細道を軽トラで登り、最後は徒歩で斜面を下って川沿いの取水施設へ。
建屋の周囲は木々に覆われ、午後とは思えないほど辺りはひんやりとして、川の音だけが聞こえている。
施設の扉を開け、中に入って点検を始める。
水槽の水位は問題ない。
だがパイプに異常があるようだった。
重たい鉄製の蓋を開け、懐中電灯を片手に覗き込む。
水の流れの途中、暗いパイプの奥に何かが引っかかっていた。
棒を突っ込んで引き出してみると、それは…藁で編まれた小さな人形のようなものだった。
胸のあたりに赤黒く染みた布が巻かれていて、顔には細い竹の枝で作られた歪んだ笑顔がついていた。
Iさんはぎょっとして思わずそれを足元に落とした。
その直後。
背後、川があるあたりから
「ボコッ」
鈍く何か大きな気泡が破けたような音が響いた。
何事だと外に出てみると、水面が波打ったように揺れていた。
「魚でもいたか」
戻って再び作業を続けようとした時
「ズルッ…ザバッ…」
水を這うような音が近づいてくる。
思わず振り向いたが、音を立てそうなものは何もなく、先ほどの人形が少しだけ移動しているような気がした。
まるで何かに引きずられたように、濡れたコンクリの上を這った跡が残っていた。
「もうやめとくか」
Iさんは作業を切り上げ、藁人形はパイプの外に置いたまま、建屋に鍵をかけて山を下りた。
数日後、また同じような詰まりが起きた。
今度は別のパイプだ。
仕方なく再び山へ行き点検を始めると、そこにもまた藁人形が詰まっていた。
しかも、前のものとは明らかに違う形。
頭部が潰れていて、顔の表情が歪んでいた。
「誰かの悪戯か?」
Iさんは念のため、地元の人に話を聞きに行った。
すると年配の男性が顔をしかめて言った。
「お前…川の底、覗いたんじゃなかろうな」
「え?」
「この辺の山の川には沈み守りってのがあるんだ。
昔、水の事故が多かった頃、水神様の怒りを鎮めるために、藁人形に身代わりを込めて沈めてたんだという」
Iさんは言葉を失った。
「それを無闇に引っ張り出すと、元の場所に戻ろうとして動くんだ。
…そして引っ張り出した者の元にも」
以来、Iさんは山の仕事から外された。
代わりに入った新人が、点検中にパイプに引きずり込まれそうになり、水面から現れた黒く藻のような髪を垂らした顔を見たと話したそうだ。