お爺さんが森の番人を務めるという、Fさんから聞いた話。
Fさんのお爺さんは、神社の裏手に広がる「禁忌の森」を見守る役目を担っているという。
その森には、昔から人ならざるものが住み着いていると、祖父や父から何度も聞かされて育ったそうだ。
特に夜の森には決して近づいてはならないと、口酸っぱく言われていた。
ある蒸し暑い夏の夜、Fさんは自室で書物を読んでいた。
窓を開け放っていたせいで、虫の声と生暖かい風が入り込んでくる。
その時、風の音とは違う奇妙な音が耳に届いた。
それはたくさんの声が重なり合ったような、はっきりと聞き取れない、曖昧な囁き声だった。
Fさんはすぐに、それが禁忌の森の方角から聞こえてくることに気づいた。
普段なら無視するはずのその声に、Fさんはなぜか抗いがたい好奇心を覚えた。
決して足を踏み入れてはならないと教えられてきたその森に、惹きつけられるように体が動いた。
懐中電灯を手に、Fさんは神社の裏手へと向かった。
森の入り口に立つと、囁き声はさらに大きくなった。
まるで耳元で誰かが話しているようだ。
しかしそれは言葉にはなっておらず、ただ意味不明な音の羅列が聞こえるだけだった。
一歩、また一歩と森の奥へと進むたびに、声はFさんの頭の中に直接響くようになり、胸の奥から湧き上がるような不安と、ひどい恐怖の感情でFさんの思考を満たしていく。
ふと顔を上げると、暗闇の中に無数の赤い光が点々と浮かんでいた。
それは野生動物の目にしてはあまりにも不自然な、燃えるような赤色だった。
しかもその目は瞬き一つせず、Fさんのことを見据えているようだった。
Fさんの視線を感じたのか、それらの赤い光はゆっくりと揺らめき、まるで何かを訴えかけるかのように動いている。
さらに奥へと進むと、あたりは一層暗闇に包まれた。
Fさんが懐中電灯の光を上に向けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
巨木の上の方に、半透明の巨大な影がじっと座っている。
それは人間のように座っているが、明らかに人間ではない。
巨大な猿のような、しかしもっと異形な薄い膜のような体が、風に揺れているように見えた。
Fさんは息をのんだ。
その影はFさんの存在に気づいているのかいないのか、微動だにしない。
ただ遠くを見つめているように見えた。
するとFさんの頭に響く囁き声が、一層激しさを増した。
それはもう声というよりは、脳を直接掻き回されているような感覚だった。
Fさんは、一刻も早くこの森から逃げ出さなければならないと本能的に感じた。
しかし来た道を振り返ると、木々がまるで枝を伸ばして道を塞ぐように見えた。
枝が意思を持っているかのように、うねうねと動いているように錯覚する。
それでもFさんは必死に、見える限りの隙間を縫って森の出口を目指した。
赤い光の目と木々の上の巨大な影から、隠れるようにしながらなんとか森から抜け出すことができた。
自宅に戻ったFさんは、何事もないように願いながらなんとか寝る事にした。
次の日、その事をお爺さんに話した所、当然の事ながら怒られたという。