Fさんという人から聞いた話。
Fさんは、とある映像制作会社で働いている。
彼女の仕事は怖い話の映像を作ること。
怪奇現象や心霊現象をいかにリアルに、そして見る人に恐怖を与えるかを日々追求している。
そのため、企画や編集作業は常に深夜に及ぶことが多かった。
その日も、Fさんは残業に追われていた。
編集室のモニターに映し出される映像の中では、白い靄がゆっくりと形を変え、見る見るうちに人のような姿になっていく。
彼女は眉間にしわを寄せ、その映像の調整に集中していた。
気がつけば、壁掛け時計の針は深夜2時を指している。
「はぁ…もうこんな時間か」
大きく伸びをして固まった体をほぐす。
一度仮眠でも取るか、とFさんは考えた。
だがその前に冷たいコーヒーでも飲んで、少し頭をすっきりさせたいと思った。
仮眠室へ向かう廊下を通り過ぎ、自販機が設置されている場所へと向かうことにした。
彼女の職場にある自販機は、壁に囲まれた四畳ほどの小さな空間にぽつんと設置されている。
その自販機へ向かうには、普段は明るい廊下を通過するのだが、この時間になると節電のために廊下の電気が消され、足元すら見えにくいほどの暗闇に包まれる。
普段なら何とも思わないその暗い廊下を、Fさんはいつものように歩き始めた。
足元に気をつけながらゆっくりと進む…その時、視界の隅に違和感を感じた。
(あれ?)
暗闇に目が慣れてきた頃、その違和感の正体がはっきりと見えた。
廊下のちょうど突き当たる手前の壁際に、なんとテントが設置されているではないか。
「え!?なんでこんなところに?」
Fさんは思わず声を上げてしまった。
こんな会社の廊下の真ん中に、キャンプで使うような本格的なテントが置かれているなんて、信じられない光景だ。
誰かが寝ぼけて持ってきたのか?それとも誰かの悪戯だろうか?一瞬ゾクリと背筋が冷たくなったが、すぐに「どうせ誰かの悪ふざけだろう」と自分に言い聞かせた。
深く考えないように、Fさんはそのまま自販機へと足を向けた。
自販機の前につき、冷たいコーヒーを買って一口飲む。
カフェインの苦みがじんわりと体に染み渡り、少しだけ意識がはっきりとしてきた。
その時だった。
「うぅぅ…」
どこからともなく、うめき声が聞こえてきたのだ。
Fさんはコーヒーを飲む手を止め、耳を澄ませた。
気のせいだろうか?疲れているせいか?疲労からくる幻聴かもしれない。
彼女は風の音に紛れて聞こえただけだと思った。
だが、その声は確かに会社の廊下の奥、あのテントのある方向から聞こえてくるように思えた。
(気のせい、気のせい…)
そう自分に言い聞かせ、もう一口コーヒーを飲もうとした。
しかしその瞬間、耳を劈くような音が聞こえた。
「ガサガサガサ!」
まるで大きな布を勢いよく擦り合わせるような、荒々しい音。
それは明らかに、あのテントの布をするような音だ。
最初よりもずっと大きく、はっきりと聞こえた。
もう気のせいだとは言えなかった。
Fさんは手に持っていた缶コーヒーを落としそうになりながら、恐る恐る音のした方向、廊下の奥へと行ってみた。
しかし、さっきまであったテントが無かった。
Fさんは目を見開いた。
さっきまで確かにそこに存在していたはずの、あの奇妙なテントが跡形もなく消えていたのだ。
あまりのことに頭が真っ白になる。
「うそ…」
震える手でスマートフォンを取り出し、ライトを点けた。
暗闇を切り裂く一筋の光が、廊下の奥を照らし出す。
恐る恐る一歩、また一歩と、Fさんはライトの光を頼りにその先を見に行った。
しかし、光の先にはただ会社の廊下が続いているだけで、テントなどどこにもなかった。
まるで最初から何もなかったかのように、静まり返った暗闇がそこにあるだけだった。
彼女は全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。