この話は、Oさんがまだ中学生だった頃の修学旅行での出来事。
わんぱくなOさんは、初めての長旅に胸を躍らせ、友人たちと夜遅くまで語り合っていた。
普段なら朝までぐっすり眠ってしまうOさんだが、その夜はなぜか、深夜にふと目が覚めてしまった。
時計を見ればまだ真夜中。
他の友人たちは寝息を立てていた。
Oさんは喉の渇きを覚え、水を飲もうとこっそり部屋を抜け出した。
廊下はシンと静まり返っていて、窓から差し込む月の光だけが、うっすらと足元を照らしていた。
誰もいない廊下を、Oさんは音を立てないようにゆっくりと歩いていく。
すると奥まった場所にある大浴場の入り口から、まるで湯気のようなものが、もくもくと漏れ出しているのが見えた。
普段、旅館の大浴場は、夜間は清掃のため閉められているはずだ。
それなのに、湯気が出ているのは明らかに異常だった。
Oさんの好奇心がむくむくと湧き上がり、足は自然とそちらへと向かっていた。
大浴場の引き戸は、なぜか少しだけ開いていた。
Oさんはそっとその隙間から中を覗き込んだ。電気は消えていて、脱衣所には誰もいない。
しかし、湯気は風呂場から溢れ出ているのか、脱衣所もOさんの膝くらいまでくもっている。
そして風呂場は薄っすらと電気が付いているようだ。
そーっと近づき引き戸を開けてみると、風呂場の中は湯気で満たされていた。
自分たちが使っている時はこんなになっていなかったのに、今は湯気が渦巻いている。
不思議に思って眺めていると、真っ白で見えない湯気の中から、かすかな子供の笑い声のようなものが聞こえてきた。
こんな時間にどこかの学校の子が入ってるのか?と思っていると、その声はだんだんと大きくなり、Oさんを湯船の中へと誘っているようだった。
まるで、「こっちへおいで」「一緒に遊ぼうよ」と、囁きかけているかのように聞こえる。
すると霧の中から、ゆらりと何かが現れた。
それは小さな子供の手のようなものだった。
青白く、少し透けているようにも見えるその手が、ゆっくりとOさんの足首を掴もうと伸びてきた。
うわっ!とびっくりして後に飛び退き、間一髪でその手を避けることができた。
Oさんの足首を掴もうとした手は、空を切った。
Oさんは、もう一秒たりともそこにいることができなかった。
全速力で自分が泊まっている部屋へと逃げ帰った。
後ろを振り返ることもせず。
部屋の戸を閉め、布団の中に潜り込み、さっきのが追ってくるかもしれない、と考える。
シーンと静まりかえった時間が流れる。
その後、Oさんはいつの間にか眠ってしまったらしく、目を覚ますと朝だったそうだ。