怖い話と怪談の処

ブログ名の最後の文字は(ところ)と読みます。怖い話や不思議な話が大好きな方、是非ご堪能下さい。記事への★ありがとうございます。

御札の部屋の向こう

Sさんがその廃旅館を見つけたのは、ネット掲示板の古い書き込みがきっかけだった。

「〇〇温泉の外れに、開かずの間がある旅館がある。

御札が貼られていて、絶対に入っちゃダメって地元の人が言ってる」

 

半信半疑で訪れたその廃旅館は、崩れた瓦と蔦に覆われながらも存在していた。

昭和の終わりに閉業したらしく、看板の文字も掠れていたが、「なつめや旅館」と読めた。

建物は老朽化が進んでいたが、2階奥の一室だけが異様に保存状態が良かった。

その襖にはいくつもの御札が乱雑に貼り付けられ、そこだけ異様な圧を放っていた。

 

「イッテハイケナイ」「シズメヨ」「サワルナ」

 

墨で書かれた警告の文字。

だがそのうちの一枚が、風でめくれ上がっていた。

興味を抑えきれず、Sさんはその隙間から中を覗いてしまった。

 

━━そこだけ空間が違っている。

 

埃一つない畳。ちゃぶ台。ラジオ。

まるで昭和初期の民家の一室のようだった。

さっきまでの荒廃した旅館とは明らかに雰囲気が違っていた。

何かに誘われるように、Sさんは襖を開けた。

中に入った瞬間、空気がぬるりと変わった。

ちゃぶ台の前に誰かが座っている。戦前の学生服のような黒い詰襟。

帽子を被ったままのその男は、顔がどこかぼやけていたが、目だけがはっきりとこちらを見ている。

男は口を動かし始めたが、声が出ていない。

何かを伝えようとしているように、口の動きだけが何度も繰り返される。

だがSさんには、何を言っているのか聞こえない。

次第に、周囲の空気がぶわりと波打った。

時計の針が逆回転を始め、ラジオからはノイズ混じりの音が流れ始めた。

「…き…ざ…よ…」どこかで聞いたような言葉が、かすかに混じっている。

その瞬間、目の前が真っ暗になった。

 

気がつくとSさんは旅館の廊下に一人で立っていた。

気になってもう一度2階にあがり、さっきの部屋を探したが、あの部屋の扉はもう存在しなかった。

そこはただの打ちっぱなしのコンクリート壁になっていた。

周りを見渡していると、足元に古びた白黒写真が落ちていた。

ちゃぶ台の前で座る詰襟の男。

 

以後、Sさんの部屋では、夜になると必ず「かすれた声」が聞こえるようになった。

何を言っているのかは分からない。

けれどその口調は、こちらに向かって語りかけているそうだ。