Kさんは廃墟探索が趣味だった。
とりわけ、人の手が何十年も加わっていないような場所に心惹かれるという。
今回彼が訪れたのは、山間にある封鎖された旧炭鉱の跡。
林道を1時間ほど歩いた先に、地面が割れたような岩場と錆びた柵が残るだけの無名の坑道があった。
鉄条網は風に吹かれてガサガサと鳴っていたが、人の気配はまったくない。
入口付近の崩れた横穴から内部に入った瞬間、空気が変わった。
ひんやりとしたはずの坑道の中が、妙にしっとりと生ぬるい。
吐く息がやけに重く、地面を照らすライトの光もどこか濁って見えた。
しばらく進むと、遠くの通路の奥がぼんやりと赤く光っていた。
火の気があるはずのない地下空間。
だがそれは確かに火照ったような橙色の光で、空気そのものが熱を帯びているように感じられた。
Kさんは慎重に歩を進め、赤い光の発生源へと近づいた。
やがて広間のような空間が現れ、その中に「人影」があった。
複数の着物姿の者たちが、無言で地面を掘っている。
手には柄の短い道具を握り、ザッ…ザッ…と、ゆっくり、ゆっくり土を削っている。
だが彼らの手は骨のように白く細く、皮膚が貼り付いているかのように見えた。
顔をよく見ると目も口もなかった。
つるりとした顔面に表情もなにもなかった。
Kさんが思わず足を止めたその時、一人がゆっくりと首だけを回すようにこちらを向いた。
その「顔のない何か」が手招きをした。
同時にKさんのすぐ耳元で、誰かの声が囁いた。
「…こっちに来て…戻れなくなる前に…」
ゾクリと背筋が凍った。
辺りには誰もいないはずなのに、その声は確かに鼓膜の裏から響いたようだった。
Kさんは反射的に踵を返して走り出した。
空間の空気はさらに重くなり、足を取られるように進みにくい。
来た道を戻っているはずなのに、壁の亀裂や残骸が見覚えと少しずつ違っている。
──おかしい。通路が…延びている?
やがて最初の分岐点に戻ったと思った場所も、塞がっていた。
焦りを感じながらも、Kさんは黙々と出口を探して彷徨った。
長い長い時間のあと、ようやく風の通る感触を感じて外に出たとき、空には朝の光が差していた。
手元の時計を見ると、炭鉱に入ってから、6時間以上が経っていた。
だがKさんの記憶では、せいぜい1時間足らずだったはずだった。
数日後。
炭鉱跡の位置を記録していたGPSログを見返すと、ある場所でぐるぐると円を描いている箇所があった。
奇妙なことに、その地点の上には──地図上、坑道は存在していなかった。
あの赤く火照る空間の奥には、一体何があったのか。
そしてあの声の「こっちに来て」という言葉どおり、そっちに行ってしまったらどうなっていたのだろう。