初秋、まだ日差しが強い九月の連休。
Kさんたち3人は、久しぶりのキャンプ登山を楽しんでいた。
メンバーはリーダー格のKさん、少し神経質なMさん、そしていつも陽気なHさん。
彼らは学生時代からの友人で、年に一度はこうして自然の中に繰り出すのが恒例になっていた。
今回は、以前から行きたがっていた奥秩父の秘境にあるというキャンプ場を目指していた。
前日の夜にレンタカーを借り、朝早くから車を走らせていた。
途中コンビニで食料を調達し、目的のキャンプ場に到着したのは昼過ぎだった。
テントを張り終え、遅めの昼食をとろうと準備を始めた矢先、空の様子が急に変わり始めた。
西の空には厚い雨雲が立ち込め、あっという間に辺りは薄暗くなった。
天気予報では晴れだったはずなのに、山の天気は気まぐれだ。
「やばいな、この雨じゃ焚き火もできないぞ」
Kさんが空を見上げて言った。
「参ったな。もうちょっと早く着いてりゃよかったのに」
Mさんが顔をしかめる。
強い風が吹き始め、木々が大きく揺れる。
雨粒がぽつぽつと落ち始め、やがてそれは土砂降りの雨へと変わった。
テントの中に避難したが、雨脚は強まるばかりで、このままでは夜までもちそうにない。
Kさんは地図を広げた。
キャンプ場の少し先に、廃墟と化した山小屋があるという情報が頭の片隅にあった。
地図には「旧・山岳会避難小屋」と書かれている。
「もしかしたら、あそこなら雨をしのげるかもしれない」
Kさんが指差す先に、山の稜線にぼんやりとシルエットが見えた。
「廃墟って、大丈夫なんですかね?」
Mさんが不安そうに尋ねたが、他に選択肢はなかった。
3人は雨の中、荷物をまとめて山小屋へと向かった。
道はぬかるみ、足元は滑りやすい。
急な斜面を登りきると、古びた木造の建物が見えてきた。
苔むした屋根、歪んだ扉。見るからに長い間放置されているようだった。
中に入ると、湿った土とカビの匂いが鼻をついた。
窓はほとんどが割れ、薄暗い室内には古い木の机と椅子がいくつか転がっている。
しかし雨風はしのげそうだ。
彼らは安堵の息をついた。
Mさんが持っていた懐中電灯を点けると、壁に無数の絵が貼られているのが見えた。
クレヨンで描かれたような、拙いタッチの絵ばかりだ。
子供が描いたのだろうか。
山小屋、木々、動物たち、そして人間の顔。
どれもどこか歪んでいて、人の顔の絵は特に、目の焦点が合っていないように見えた。
「うわ、なんかちょっと不気味だな」
Hさんが絵を見ながら言った。
「ほんとだ。子供の絵にしては、なんかヘン」
Mさんも同意する。
Kさんは特に気に留めず、濡れた服を脱いで乾かす場所を探していた。
夜になり、雨は相変わらず降り続いていた。
3人は持ってきた携帯食を広げ、黙々と食べる。
外の雨音だけが不気味に響いていた。
その時、Mさんが小さな声を上げた。
「ねえ、今の気のせいかな」
「何が?」Kさんが振り返る。
「あの絵のさ、一番右端の絵。さっきより顔がこっち向いてる気がしない?」
Hさんが笑い飛ばした。
「まさか。暗いからそう見えるだけだろ」
Kさんも「疲れてるんだよ」と言ってMさんの言葉を軽く流した。
しかしMさんは落ち着かない様子で、何度もその絵に視線を送っていた。
それから数十分後、今度はHさんが声を上げた。
「おい、冗談だろ…」
Hさんの声は震えていた。
彼が指差す先には、数枚の絵が並んでいる。
そのうちの一枚、山小屋の絵の中に描かれた窓の向こうに、人影のようなものが浮かび上がっているように見えた。
さっきはなかったはずだ。
それはまるで、誰かが小屋の窓からこちらを覗き込んでいるようだった。
「俺には何も見えないけどな」
Kさんは懐中電灯を絵に向けて照らしてみる。
だが、光を当てるとその影は消えてしまう。
光を消すと、またぼんやりと浮かび上がる。
まるで闇の中にだけ存在しているかのように。
Mさんは震えながら言った。
「見て…あの絵の目の部分…」
Kさんが改めて絵を見た。
壁に貼られた何枚かの人物画の目が、まるで生きているかのように、僅かにこちらを見ているように感じられた。
それは、最初見た時には感じなかった奇妙な感覚だった。
まるで彼らの視線が、自分たちに合わせられているかのような。
その夜、彼らは眠りにつくことができなかった。
雨音に混じって、時折聞き取れないような微かな囁きが聞こえてくる。
しかし、その声はだんだんと彼らの意識の奥底に忍び寄ってくるようだった。
夜が明け雨が止むと、一刻も早く山小屋を出ようと急いで荷物をまとめた。
小屋を出る直前、Mさんがふと壁を見ると、昨日まであったはずの沢山の奇妙な絵のが、ほんの数枚に減っていたという。