これはRさんという人が、祖父のTさんから聞いた話で、とある地方の山奥にある、小さな村での出来事だった。
その村は、地図にも載っていないような場所にあった。
外界との唯一の繋がりは、険しい山道を一本だけ。
その道の入り口には、昔から古びた道標が立っていた。
風雨に晒され文字もかすれてしまっていたが、それが村の唯一の目印であり、心の拠り所でもあった。
ある日のことだった。
Tさんが朝早くから山へ木を切りに出かけると、その道標が消えていることに気づいた。
初めは誰かのいたずらだと思った。
こんな山奥まで来て、そんなことをする人間がいるのかと、首を傾げながらもあまり気に留めなかった。
しかしTさんが村に戻ってこの話をすると、村人たちはざわめいた。
道標は村の守り神のような存在だったからだ。
それから数日後、道標は元の場所に戻っていた。
皆、ほっと胸を撫で下ろした。
だがそれも束の間、また数日すると道標は消え、また現れる。
そんなことを繰り返すようになった。
そして奇妙なことが起こり始めたのは、道標が消えた日だった。
その日、村の中から一人が姿を消したのだ。
消えたのは、いつも村の入り口近くで畑仕事をしていたSさんだった。
村人総出でSさんを探した。
山の中を何日も探し回ったが、Sさんの影も形も見つからなかった。
村人たちは不安に駆られた。
道標が消えるたびに誰かが姿を消していく。そんな恐ろしい噂が村中に広まった。
次に消えたのは子供のMさんだった。
Mさんは道標が消えた日の晩、母親に「あそこにいる人が手招きしている」と言って、そのまま家を出て行ってしまったという。
消えた人たちは、皆同じ方向へ向かっていた。
村の奥深くにある、地図にも載っていない古い神社の方角だった。
その神社は、昔から村人たちに「決して近づいてはならない」と言い伝えられてきた場所だった。
誰もその神社の詳しいことを知らなかった。
ただそこには何か恐ろしいものが潜んでいる、と漠然とした恐怖を抱いていた。
ある晩、道標がまた消えた。
村人たちは次に誰が消えるのかと、恐怖におののいていた。
その夜、村長のKさんが突然家の戸を開けて外へ出て行った。
Kさんは酒を飲んだ後、たまに散歩する人だったので、それを見かけた村人たちはとくに気にしていなかったという。
Kさんが向かった方角は神社の方だったそうだ。
またKさんの家の近くに住んでいた者は、その日の晩、Kさんの家からはどこからか聞こえてくるような、遠くで響くような囁くような声が聞こえてきた、と証言した。
その声は何かを誘っているように聞こえたが、具体的な言葉は聞き取れなかったという。
その翌朝、やはりKさんの姿はなかった。
村人たちは、もうどうすることもできなかった。
道標が消えるたびに人が消える。それはもはや偶然ではなかった。
その後、Tさんたち家族は現在いる町に引っ越してきたそうだ。