私の友人のKさんは、都心で一人暮らしをしている。
仕事はデザイナーで、自宅で作業することが多い。
朝食はいつも決まったカフェで摂るのが習慣だった。
ある日の朝、Kさんはいつものようにカフェに向かった。
お気に入りの窓際の席に座り、スマートフォンでニュースを見ながら、コーヒーとトーストが運ばれてくるのを待った。
何気ないいつもの朝の風景だった。
コーヒーを一口飲み、トーストをちぎろうとしたその時だった。
Kさんはふと違和感を覚えた。
テーブルの上がやけにすっきりしている。
いつもなら、コーヒーカップとトーストの皿の他に、小さなガラスの器に入ったジャムが置かれているはずなのだ。
Kさんは首を傾げた。
「あれ?ジャムがないな」
店員さんに声をかけようかと思ったが、その日は妙に店内が混雑していて、店員さんも忙しそうにしている。
Kさんはまあいいかと、そのままトーストを食べ始めた。
その日、Kさんは自宅で作業を終え、夕食の買い物に出かけた。
近所のスーパーマーケットに向かい、野菜や肉などをカゴに入れていく。
レジに並んでいると、Kさんはまたふと違和感を覚えた。
いつもならレジの横には、小さなカゴに入ったつまようじが置いてあるはずなのだ。
しかしその日はどこにも見当たらない。
「つまようじ、なくなったのかな?」
Kさんは別に困るわけではないので、そのまま会計を済ませてスーパーを後にした。
翌日、Kさんは朝食後、図書館に本を返しに行った。
図書館は静かで広々とした空間で、Kさんは昔からよく利用していた。
返却カウンターで本を差し出すと、Kさんはまた、ふと違和感を覚えた。
いつもならカウンターの端に、貸し出し用のボールペンが何本か置いてあるはずなのだ。
しかしその日は一本も見当たらない。
「変だな、いつもは置いてあるのに」
Kさんは不思議に思いながらも、そのまま図書館を出た。
その日の夜、Kさんは自宅でテレビを見ていた。
ドキュメンタリー番組で、とある街の風景が映し出されている。
見慣れない街並みだったが、なぜかその映像に強い違和感を覚えた。
テレビの中の街並みには電柱がないのだ。電線も、信号機も、街灯もない。
まるで数十年前にタイムスリップしたかのような、奇妙な風景だった。
Kさんは思わず身を乗り出した。
しかし、テレビ画面には何の解説も出ていない。
ただ誰もいない静かな街並みが、延々と映し出されているだけだ。
次の瞬間、Kさんは自分の部屋を見回した。
いつもなら部屋の隅にあるはずの観葉植物がない。
机の上にあるはずの目覚まし時計もない。
壁に掛かっているはずのカレンダーも、いつの間にか消えている。
まるで自分の日常から、少しずつ何かが消えていっているような感覚。
その時、Kさんのスマートフォンの着信音が鳴った。
画面を見ると、差出人は「不明」と表示されている。
Kさんは嫌な予感に背筋が凍りつきながらも、恐る恐る電話に出た。
「…もしもし?」
電話の向こうからは何も聞こえない。
ただ、遠くで子供の笑い声のようなものが、微かに聞こえるだけだった。
その声は耳を澄まさなければ聞こえないほど小さく、しかしKさんの意識の奥底に、じわりと染み込んでくるような、不気味な響きを持っていた。
Kさんは焦って電話を切った。
そして自分の部屋を改めて見回した。
先ほどまであったはずのソファや本棚、そしてテレビまでもがゆっくりと、しかし確実に、空間に溶けるように消え始めていることに気づいた。
Kさんの目の前で壁や天井も曖平に揺らめき、まるでこの世界そのものが、少しずつ消滅していくかのようだった。
Kさんは恐怖で声も出なかった。
自分の存在もこの部屋も、この世界も、全てが消えていくのではないかという、根源的な恐怖がKさんを襲った。