Nさんが小学生の頃、自宅の裏山には小さな発電施設の跡地があった。
古びたコンクリートの壁にはひびが入り、草木が鬱蒼と茂り、子供たちの間では「おばけでるぞ」と噂される場所だった。
しかし、Nさんは好奇心旺盛な子供で、いつもその廃墟に心を惹かれていた。
ある晴れた午後、Nさんは友達に内緒で一人、発電施設の跡地へ向かった。
入口は固く閉ざされていたが、壁の低い位置に、大人一人では到底通れないような小さな通気口があるのを見つけた。
Nさんは迷わず、無理やり身体をねじ込んでその奥へと進んでいった。
身体中がコンクリートの粉で汚れるのも気にせず、暗闇の中を這い進む。
どれくらい進んだだろうか。
ふと、目の前に空間が広がったのを感じた。
Nさんが身体を引き抜いて立ち上がると、そこはひっそりとした部屋だった。
壁際には、見たこともないような金属でできた機械がずらりと並んでいる。
どれもこれも信じられないほど複雑で、まるで生き物のように見えた。
Nさんは無意識のうちに息を潜めていた。
耳を澄ますとどこか遠くで、子供のような声が微かに聞こえてくる。
「回して、回して」。
その囁きは部屋の静寂の中で妙に響いた。
Nさんはその声に導かれるように、壁際に設置された一つのレバーに手を伸ばした。
冷たい金属の感触。好奇心からNさんはそのレバーにそっと回した。
次の瞬間、部屋の照明がパッと点いた。
しかし、その光は見たことのないような深い紫色で、空気全体が「ざわざわ」と震えるような、奇妙な感触がNさんの全身を包み込んだ。
Nさんの目の前にある金属の機械たちが、紫色の光を浴びて、奇妙な輝きを放っている。
そして、その直後だった。
部屋の隅に、一枚の鏡が立てかけられていることにNさんは気づいた。
紫色の光を反射するその鏡に、ふいに何かが浮かび上がった。
巨大な真っ黒な目だ。
それは、まるで漆黒の宇宙そのものが凝縮されたかのように、何もかもを吸い込んでしまいそうな深い闇を湛えていた。
鏡の中にその黒い目だけが、Nさんをじっと見つめている。
Nさんは一瞬で凍り付いた。身体が動かない。
恐怖がNさんの全身を支配した。
この場所は来てはいけない場所だった。
本能がそう告げていた。
Nさんは、這う這うの体でその場から逃げ出した。
来た時と同じように通気口に身体をねじ込み、一心不乱に外へと向かって這い進む。
頭の中で、あの黒い目がNさんのことを見つめていた。
ようやく通気口から外に出たNさんは、ぜいぜいと息を切らしながら、裏山の茂みをかき分けて走り続けた。
自宅にたどり着いた時、Nさんは震える身体で、恐る恐る裏山の発電施設の方を振り返った。
すると、閉鎖されていたはずの発電施設の構造が、一部変わっていたのだ。
今まで見たことのない、奇妙な螺旋状の金属のパイプが、建物の壁を這うように伸びていた。
それはまるで、あの部屋にあった機械の一部が、外に飛び出してきたかのようだった。
Nさんはその日以来、二度とあの発電施設の跡地には近づかなかった。
あの紫色の光と鏡に浮かんだ黒い目、そして囁くような子供の声。
「回して、回して」。
その声が今でも時折、Nさんの耳に鮮明に蘇ることがあるという。