旅行で訪れた古びた旅館で、Rさんは一人、静かな夜を過ごしていた。
深夜、ふと目が覚めると、部屋の隅に白い着物をまとった女が立っているのが見えた。
ぼんやりとした視界の中、その姿はまるで生きているかのように見える。
Rさんはびっくりして飛び起きた。
しかし目を凝らしてよく見ると、それは部屋の角に飾られた掛け軸に描かれた絵だとわかった。
月明かりが差し込み、絵の白い着物が際立っていたのだろう。
安堵したRさんは、そのまま再び眠りについた。
翌朝、目覚めたRさんは、念のため掛け軸を確認した。
するとそこには、昨日見たはずの白い着物の女の絵ではなく、凛々しい顔つきの男が描かれているではないか。
Rさんは目を擦り何度も見直したが、やはり男の絵だった。
まさか夢でも見ていたのだろうか。
朝食を終え、Rさんがチェックアウトをしようとすると、女将がにこやかに話しかけてきた。
「お客様、昨夜はよくお休みになれましたでしょうか?」
Rさんは昨夜の出来事が気になり、女将に掛け軸のことを尋ねてみた。
「あの、昨夜部屋の掛け軸の絵が女性に見えたのですが、今朝見たら男性に変わっていて…」
女将はRさんの言葉を聞くと、まるでよくあることのように、にこやかに笑って言った。
「ああ、お気づきになりましたか。
実は、前の泊まり客の方も、絵が変わっていたとおっしゃってましたよ」
Rさんは耳を疑った。
女将は続けて言う。
「この旅館ではお客様が泊まるたびに、掛け軸の中身が変わるようでしてね。
お客様に合わせて絵が変わるんですよ」
女将はそう言って笑った。
その笑顔は優しかったが、Rさんは背筋に冷たいものを感じた。
泊まるたびに絵が変わる?それはつまり、掛け軸の絵は、そこに泊まった人々の何かを映し出しているということなのだろうか。
Rさんが旅館を出た後も、その掛け軸のことが頭から離れなかった。
次にあの旅館に泊まる人はどんな絵を見るのだろうか。
そしてあの掛け軸が映し出すのは、本当にその人自身なのだろうか。
Rさんは自分が昨日見た白い着物の女が、一体何を意味していたのか、考えるたびに深い不安に囚われるのだった。