Hさんはごく普通の高校二年生だった。
いつも明るく、クラスの中心にいるような存在で友達も多く、学校生活を謳歌しているように見えた。
Hさんの日常は、放課後の部活動と他愛もないおしゃべり、そして時々テスト勉強に追われる、そんな他愛もない日々で成り立っていた。
これはHさんの親友である、Yさんから聞いた話。
YさんはHさんとは小学校からの付き合いで、何でも話せる間柄だったという。
ある日のこと、部活動を終え、更衣室の自分のロッカーを開けたHさんの隣で、Yさんは着替えをしていた。
Hさんは突然、「あれ?」と声を上げ、ロッカーの中を見ている。
いつも通りの見慣れた光景の中に、そこにあるはずのないものが置かれていることにHさんは気づいた。
一冊のくすんだ色のノートだった。
誰かのイタズラだろうか。HさんとYさんはそう思った。
少しだけ眉をひそめながら、そのノートを手に取った。
表紙には何も書かれていない。
二人は好奇心に駆られてそっとページを開いた。
ノートに書かれていた文字は、驚くほど整っていた。
しかし、その内容は、二人の心臓を締め付けるようなものだった。
「〇月〇日 今日は誰とも話さなかった」
その一文を読んだ瞬間、HさんとYさんの背筋に冷たいものが走った。
Hさんはいつも誰かと話しているようなタイプだったから、その内容は不可解だった。
さらにページをめくる。
「〇月〇日 給食を残した」
「〇月〇日 お腹が空いた」
給食を残したという記述には覚えがあったが、「お腹が空いた」という記述にはHさんもYさんも首を傾げた。
それは、Hさんの意識の中にはなかった言葉だったからだ。
まるでHさんの行動とは別に、誰かの意識がそこに存在しているかのようだった。
そしてそのノートの内容は、明らかに人間では知り得ないような、Hさんの微細な行動や、思考の断片までもが記されていく。
「〇月〇日 誰にも気づかれていない。いい子にしている」
数日が過ぎた。
Hさんは毎日、恐る恐るロッカーを開け、Yさんと一緒にノートを確認した。
そこには毎日、Hさんの行動が詳細に記されていた。
まるで影のように、誰かがHさんの日常に寄り添っているかのようだった。
誰かに相談しようとも思ったが、こんな話を誰が信じてくれるだろうか。
それにもしこれが誰かの悪質なイタズラだったとしたら、事を荒立てたくないという気持ちもあった。
ある日の放課後。
いつものようにロッカーを開けたHさんとYさんは、そのノートの最終ページに書かれた一文を目にした。
「そろそろ、代わってもらう」
その文字はこれまで以上に二人の心を深くえぐった。
その日を境に、Hさんの様子は明らかに変わった。
以前の明るさは消え失せ、常にうつろな目をしていた。
口数も減り、時折、虚空を見つめては、ふっと薄い笑みを浮かべることがあった。
まるで別の人間に変わってしまったかのように。
YさんはHさんの変化に恐怖を感じながらも、友人を助けようと必死だった。
しかし、HさんはYさんの問いかけにもほとんど反応せず、ただ遠くを見つめるばかりだった。
周りの人間は、Hさんが受験勉強のストレスで参っているのだと思った。
しかし、本当のところは誰も知らない。
Hさんのロッカーの中のノートが、その後どうなったのかも。
高校を卒業したあと、Hさんとは完全に疎遠になってしまい、彼が今どうなってるのかは分からないそうだ。