Tさんという人から聞いた話。
Tさんは夜間の警備員として、都心にある大きなデパートで働いている男性だった。
昼間のデパートは人で溢れかえり、喧騒に包まれているが、深夜になると照明も落とされシンと静まり返る。
非常灯の薄暗い光だけが通路をぼんやりと照らし、華やかな商品が並ぶ売り場は、どこか無機質な空気をまとっていた。
Tさんはこの深夜の静寂が嫌いではなかった。
いつものように、夜間の巡回業務をこなしていた時だった。
一階の化粧品売り場を通りかかった時、ふと、微かな「カタン…」という音が聞こえた。
それはレジカウンターの奥から聞こえるようにも、あるいは商品棚のあたりから聞こえるようにも思えた。
Tさんは「ネズミか?」と思ったが、ここは清掃も行き届いており、ネズミが出るような場所ではないはずだった。
音のする方へ近づいていくと、音はピタリと止んだ。
Tさんは懐中電灯で周囲を照らしたが、何も見当たらない。
気のせいだろう、とそのまま巡回を続けた。
しかし、しばらくして、今度は二階の婦人服売り場で、再び物がぶつかり合うような音が聞こえてきた。
Tさんは身構え、音のする方へゆっくりと近づいた。
だが、近づくとすぐに音は止まる。
薄暗いフロアで、マネキンたちが静かに立っている。
その時、Tさんの視界の端で、あるマネキンの手がまるで微かに動いたように見えた。
しかし瞬きをすると、やはりマネキンは微動だにしない。
Tさんはぞっとしたが、警備員としての職務を全うするため、異常がないか念入りに確認した。
その日、その後は何も起こらなかった。
しかし、数日後のことだった。
Tさんはまた同じ夜間の巡回中に、その音を聞いた。
今度は子供服売り場からだった。
「カタカタ」という音に加え、微かな「コトン」という、何かが床に落ちるような音がする。
Tさんは懐中電灯を向け、音のする方へと進んだ。
するとベビー服が並ぶ棚の下に、小さな人形が一つ落ちているのを見つけた。
それはデパートで通常販売されているものではなく、どこか古びた、手作りのような人形だった。
Tさんがそれを拾い上げようと屈んだその時だった。
背後から微かな、しかしはっきりと「返して」というような、掠れた囁き声が聞こえた。
それは幼い子供の声のように聞こえた。
Tさんは振り返ったが、そこにあるのは静まり返った空間だけ。
彼は人形を拾い上げることなく、その場を立ち去った。
それ以来、Tさんは深夜の巡回中に不自然な物音が聞こえても、決して立ち止まらず、目を向けないようにしているという。
あのデパートのどこかに、あの声の主が今もいるのかもしれない、とTさんは考えているんだそうだ。