大学生のTさんから聞いた話。
Tさんは大学の近くでアルバイトをしていて、いつも終電で帰宅していた。
その日はバイト先の店が急に忙しくなり、Tさんが解放されたのは日付が変わる寸前だった。
ホームは人影もまばらで、いつもの煩さが嘘のように静かだった。
終電が滑り込んできた時、Tさんはすでに意識が朦朧としていた。
車両に乗り込むと乗客はほとんどいない。
まばらに座っている乗客も皆、疲れた顔でスマートフォンを操作しているか、あるいは眠っているかのどちらかだった。
Tさんは、窓際の二人掛けのシートに深く腰を下ろした。
座席に体重を預けると、身体から一気に力が抜けていく。
目を閉じれば、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。
電車が動き出し、ガタンゴトンと規則的な揺れと音が、Tさんの眠気をさらに誘う。
目を閉じていると、ふと、隣の席に誰かが座る気配がした。
Tさんは疲れていて、誰が座ろうと気にする気力はなかった。
ただ、隣に人がいるという漠然とした感覚だけがあった。
そのままうとうとしていると、妙にひんやりとした空気が隣から漂ってくるのを感じた。
まるで冷たい水の中に顔を突っ込んだような、不自然な冷気だった。
Tさんは「窓が開いているのか」と思ったが、窓はしっかりと閉まっている。
その冷気が、徐々にTさんの身体を包み込むように広がるのを感じた。
そして、耳元で何かを囁くような音が聞こえた気がした。
それは、はっきりと聞き取れる言葉ではない。
ただ「ひゅう…」「ざわざわ…」というような、不明瞭で不気味な音だった。
最初は風の音だろうと思っていた。
電車は高速で走っているのだから、どこからか風の音が入り込むこともあるだろう、と。
しかし、その囁きのような音はだんだんと大きくなった。
いや、大きくなったというよりも、よりTさんの耳元に近づいてきた、という感覚だった。
そして、それは明らかに風の音ではなく、誰かの声が意味不明な言葉をゆっくりと繰り返しているかのようだった。
怖くなってTさんはゆっくりと目を開けた。
隣の席に目をやると、そこには誰も座っていない。
車両の奥まで見渡しても、他の乗客たちは相変わらずうつむいていたり、眠っていたりするだけで、Tさんの異変に気づく様子はなかった。
背筋を冷たいものが這い上がってきた。
Tさんは次の駅で慌てて電車を降りた。
時刻は深夜を過ぎ、駅前にはタクシーが一台だけ停車していた。
Tさんは迷わずそのタクシーに乗り込み、震える声で自宅の住所を告げた。
それ以来、Tさんは終電に乗るのが怖くなったそうだ。