Kさんは山歩きと野営が趣味だった。
誰もいない山奥にテントを張って、焚き火の音を聞きながら夜を過ごす。
そんな時間が好きだった。
その日も人里離れた沢沿いの細い獣道を歩いていた。
陽はまだ高く、風もなく沢の水音だけが静かに響いていた。
途中、小さな開けた場所があって、Kさんはそこにテントを張ることにした。
沢のすぐそばで斜面も緩やかで、いい場所だった。
荷物を置いて水を汲みに沢に近づいた時のこと。
ふと、向こう岸に何かが見えた。
白っぽい何か。最初は鳥だと思ったのだが、よく見ると羽がく脚もない。
そもそも動物の形ではなかった。
ひしゃげたビニール袋のような、それでいて何かの塊のような、そういう曖昧な形をしていた。
それが水面すれすれのところで、ぴたりと浮いていた。
風は吹いてない。
水も流れているのに、それだけはまるで固定されたみたいに動かない。
Kさんはしゃがみこんで目を凝らした。
中が透けて見える。
骨のようなものが何本も。
細くて曲がった骨が、ぐにゃぐにゃと蠢いていた。
生き物の動きではない。
ゆっくりと、骨が内側からもぞもぞと這っていた。
Kさんは思わず息を呑んで後ずさった。
一瞬、視線が逸れた。
もう一度見るとそこには何もなかった。
ただの水面。流れる沢と向こう岸の木々だけがあった。
「見間違い…じゃないよな」
心臓がまだ早鐘を打っていたが、Kさんは何とか自分を落ち着かせて、テントに戻った。
その夜。
辺りは真っ暗で、月も雲に隠れていた。
焚き火を消してテントに入り、寝袋に包まりながら耳を澄ますと、夜の山らしい虫の声、遠くの梟の声だけが聞こえていた。
しばらくして、ウトウトしはじめたそのとき。
ぴちゃ…ぴちゃ…
何かがテントのすぐ下で水の音を立てた。
沢は5メートル以上離れている。水が来るはずなんてない。
だけど、確かに地面のすぐ下、テントの下から
ぴちゃっ…ぴちゃっ…ぴちゃっ…
まるで、誰かがテントのすぐ下に手を差し入れて、冷たい水を掬っているような音。
寝袋の中でKさんは動けなかった。
息を殺し、目を閉じてただその音が止むのを待った。
音はしばらく続き、それから急に何もなかったみたいに止んだ。
翌朝。
テントの下を確かめても水はなかった。
濡れた跡もない。
だが、テントのペグの一本が何故かゆるくなっていた。