Tさんが青白く明け始めた早朝登山をした時の事。
平日ということもあって、登山道には他に誰もいなかった。
鳥の声が響く中、霧のかかった林道を黙々と歩いていたとき、ふいにそれが視界に入った。
道の真ん中にぽつんと置かれた…ランドセル。
赤黒い色味が新しい。
擦れた跡もなく、まるで新品のように見えた。
「なんでこんなところに?」
Tさんは足を止めた。山の中に子供の姿はない。
周囲は木々に囲まれ、民家も学校も遥か遠い。
最初はふざけた登山者が、リュック代わりに持ってきたのかと思ったが、それにしては不自然すぎた。
Tさんはおそるおそる手を伸ばした。
その瞬間、ひゅうっと風が吹いて、ランドセルの蓋が「パタン」と開いた。
中には何も━━いや違う。
乾いたどんぐり、細長い葉、薄茶けた花びら…山で拾えるような自然物がぎっしりと詰め込まれていた。
「子供が遊びで拾って詰めたのか?」
と考えていたときだった。
「パタン」
誰も触れていないのに、ランドセルが自分で閉じた。
音もなくゆらりと持ち上がり、そのままずるっと滑るようにして、横の藪の中に消えていった。
木の枝を避けるような動きだった。
葉が少し揺れただけ。
Tさんはその場でしばらく呆然としていたという。
まるで見てはいけないものを目撃したような、現実と夢の間にいるような、そんな時間だったと語っていた。