Sさんがその山を訪れたのは、数週間前に大きな山火事があった直後のことだった。
登山道の入り口には「立ち入り注意」の札があったが、道そのものは開かれていた。
木々は黒く焦げ、灰色の地面からはまだどこか焦げたにおいが立ち上っていた。
森の音は消え、鳥も虫もいない。
歩くたびに焼けた小枝がぱきぱきと折れた。
そんな中、ふと視界の端にそれが見えた。
焦げた木々の間に、ひときわまっすぐに立つ黒い柱のようなものがあった。
高さは2メートルほど。
周囲の木と同じく黒ずんでいるが、なぜか形が整いすぎていた。
そしてなにより…不自然なほど真っ黒だった。
遠目には焼け残った幹のようにも見える。
けれどその表面は炭のざらついた感じとは違い、どこか濡れているような鈍い光を帯びていた。
気になったSさんは、それに近づいた。
柱の根元、地面との境目に何かが見える。
黒い表面から小さな手のような突起が、いくつも突き出していた。
それは人間のものではなく、乾いて縮んだような奇妙な形で、だが指の本数や関節の向きだけは、異様なほどそれらしく見えた。
見てはいけないと直感し、Sさんは息を止めるようにして背を向け、早足でその場を離れた。
家に帰ってザックを開けたとき、奇妙なことに気づいた。
中に入れていたペットボトルも食料も無事だったのに、ザックの内側だけがべっとりと濡れたように黒くなっていた。
炭では説明のつかない、油っぽいすすのようなもので、手で拭うと指先に黒い膜のようにまとわりついてくる。
その後、洗ってもそのすすの跡だけはうっすらと残ったままだという。
まるで何かがザックの内側から這い出していたかのように。