Kさんがその海岸を歩いていたのは、夕方近い干潮の時刻だった。
観光地からは離れた寂しい磯で、人気はなく、波の音だけがゆっくりと響いていた。
ふと足元を見ると、砂の上に小さな顔のような跡があった。
大人の手のひらほどの大きさで、目と口のようなくぼみが、くっきりと押し付けられていた。
人が作ったにしては妙に正確で、何より奇妙だったのは、次に波が来てもその跡がまったく崩れなかったことだった。
浅い波がさらりと砂を濡らし、他の足跡や貝殻の溝はすぐにかき消されたのに、その顔の跡だけは、濡れながらもくっきりと残っていた。
Kさんが立ち止まり、違和感を覚えて波打ち際に視線を向けた瞬間。
ざぶん、と寄せてくる波の中にまったく同じ顔が沈んでいた。
透明な水の中、砂が巻き上がるその奥で、目のような窪みがこちらを向きながら、ゆらりと揺れていた。
Kさんは慌ててその場から離れた。
誰かが潜っていた?見間違いか?いずれにせよ、あまりに異様だった。
その夜からKさんは毎晩のように、同じ夢を見るようになった。
視界は真っ暗で、耳元で「ざあっ…ざあっ…」と波の音が響いている。
それに混ざって砂を含んだような呼吸音と、海水のにおいが感じられた。
何度か夢の中で目を凝らすと、足元の砂地に小さな顔の跡がある。
夢のくせに、濡れた砂の温度や粒の感触まで妙にリアルで、目覚めたときも潮の匂いが鼻についていた。
以来、Kさんはもうその浜に近づいていない。
ただ、今でも干潮の時間が近づくと、背後にじっとりした視線を感じることがあるという。