登山好きのMさんは、秋の山道を一人で歩いていた。
目的の山頂まではまだ距離があったが、少し開けた小さな台地を見つけたため、休憩を取ることにした。
そこには、なぜか水面が広がっていた。
湖というよりは、直径二十メートルほどの小さな池。
だが、その水は一切のさざ波もなく、鏡のようにぴたりと静まり返っていた。
不思議に思いながら水面を覗き込んだMさんは、息を呑んだ。
そこには自分の姿が映っていなかった。
代わりに湖面の中央に、黒い人影のようなものが立っていた。
輪郭はぼやけているが、顔の位置らしき部分はまっすぐこちらを向いている。
だが瞬きをした瞬間、その影は湖面に溶けるように消えた。
水は相変わらず鏡のように静まり返り、何事もなかったかのようだった。
落ち着かない気持ちのまま、Mさんはその場を離れた。
振り返ると、湖はすでに木々の間に隠れて見えなくなっていた。
下山後、Mさんは地図を開いてあの場所を探した。
しかし、湖どころか池の記号すら載っていない。
同じ山をよく登る友人に聞いても、「そんな場所はない」と言われた。
さらに後日、別の地図でも確認したが、やはり記載はなかった。
不思議に思い、あの台地を探しにもう一度山へ向かったが、何度歩いても辿り着けなかった。
代わりに以前そこへ行ったときと同じ位置から、木々の間にちらりと水面の光が見えることだけはあった。
だがそこへ進もうと足を踏み出すたび、登山道はいつの間にか別の方向へと続いてしまうという。