登山が趣味のOさんが、休日を利用して一人で近郊の山へ出かけた時の事。
その日は天気もよく、山頂からの景色を楽しんだあと、ゆっくりと下山していた。
だが、夕暮れの山は想像以上に早く影を落とし、木々の間は次第に薄暗さを増していく。
足元に気をつけながら歩いていると、前方に人影が見えた。
同じく下山中の登山者らしい。
しかし、その背中にOさんは違和感を覚えた。
赤黒い色が広がっているのだ。
汗でシャツが濡れているにしては、不自然に背中全体がじっとりと染まっていた。
しかも輪郭が人の体に沿っていない。
肩から腰にかけて、何かがまとわりついているように形が歪んでいた。
「怪我でもしているのだろうか…」
そう思い、声をかけようと口を開きかけた瞬間、その人影はふらりと脇の木立の中へと進んだ。
しかしそこに道はない。
急な斜面と茂みしかないはずだった。
慌ててOさんは駆け寄り覗き込んだ。
…だが誰の姿もなかった。
風が木の葉を揺らす音だけが耳に届く。
Oさんは立ち尽くした。
あの背中は、確かに自分の数メートル先を歩いていたのに。
赤黒く濡れた布のようなものが、ゆらりと人影にまとわりついていた感触まで、目に焼き付いている。
その後、どうにか無事に下山したものの、Oさんは振り返ることを何度も繰り返してしまった。
木々の間から、またあの赤い背中が現れるのではないか、と恐ろしくて仕方がなかったのだ。
以来、Oさんは夕暮れの下山を避けるようになったという。
あの時の「赤黒い背中」が本当に人だったのか、それとも山に潜む何かだったのか…今も答えは出ていない。