Kさんは深夜、仕事を終えてオフィス街を歩いていた。
平日の午前一時過ぎ、人気はほとんどなく、照明の落ちたビル群の間を街灯の淡い光だけが照らしている。
タクシーを拾おうかと思いながら歩いていたとき、不意に視線が止まった。
ビルとビルの狭い隙間━━ちょうど人一人が立てるかどうかの暗がりの中に、何かがいた。
それは人型のように見えるが、異様に細長い。
腕がだらりと垂れ、指先が地面に触れるほど伸びている。
だが頭には顔がない。
のっぺりとした輪郭だけが、黒い影の中に浮かんでいた。
奇妙なのはそれが立っているというよりも、ビルの壁に溶け込んでいるように見えたことだ。
壁から剥がれきれていない影のようで、輪郭がわずかに揺らぎ、ビルのタイルと同化したり、また浮かび上がったりしている。
Kさんはぞっとして足を止め、息をひそめた。
だが、その細長い人型は微動だにせず、ただそこに貼りついていた。
数秒か、あるいは数分だったのか。
耐えきれなくなったKさんは小走りでその場を離れ、家に着いたときには全身に冷や汗をかいていた。
翌日、気になってたKさんは、昼休憩の時に同じ道を通ってみた。
夜と違い、人通りもあるため恐怖は薄れていたが、やはりあの隙間を確かめずにはいられなかった。
近づいてみると、ビルの壁に妙な跡が残っていた。
人の手のような跡がいくつも、コンクリートに浮き出るようについている。
まるで壁の中から押しつけたように、五本の指が鮮明に並んでいた。
ただの汚れかとも思ったが、触れてみるとざらりとした感触があり、確かに凹凸があった。
Kさんは慌ててその場を離れたが、それ以来、夜のオフィス街を一人で歩くことはやめたという。
あの隙間には、いまも貼りついたままの誰かが潜んでいるのかもしれない。