
Kさんが大学生の頃、地方の大学へ進学するため、山沿いの町へ引っ越した。
その町には、戦時中に作られたという防空壕が点在しており、中でもKさんの住まいからほど近い斜面に口を開ける大きな壕は、地元でも有名だった。
崩落の危険があるから近寄るな、と地元の人たちは口を揃えて忠告していた。
しかし好奇心の強いKさんは、その話を聞けば聞くほど確かめたくなった。
ある晩、懐中電灯を片手に、誰にも見つからぬようその壕へと向かった。
入り口は草に覆われている。
ライトで照らすと土の壁が続き、奥へまっすぐに伸びている。
じめじめと湿った空気と、足元の砂利を踏む音だけが耳に響く。
最初は洞窟探検のようで胸が高鳴ったが、ただの真っ直ぐな穴にしか思えず、期待はすぐに薄れていった。
「そろそろ引き返すか」と考えたときだった。
奥の暗闇に、ぼんやりと光が見えた。
息を殺し、足音を忍ばせて進む。
やがて照らし出されたのは、土に埋もれるようにして立っている家の壁だった。
防空壕の中に不自然に建てられた壁は、漆喰めいた白さを保ち、窓や扉まで備えている。
窓は曇りガラスのように白く光り、中の様子は伺えない。
「こんな場所に家なんて…誰か住んでいるのか?」Kさんは耳を澄ました。
しかし物音一つ聞こえず、壕の中は無音の中に沈んでいる。
どうにかして中を覗こうと近づいた瞬間、ふいに光がすべて消えた。
懐中電灯は手の中で点いたままなのに、家を照らしていたはずの光源が消え、同時に壁も窓も扉も、跡形もなく闇に溶けた。
そこにはただ、何もない土の壁が続いているだけだった。
全身の毛が逆立ち、Kさんは一目散に壕を駆け戻った。
荒い息をつきながら振り返るが、真っ暗闇のままだった。
後日、大学で知り合った友人たちと一緒に入ってみたのだが、やはりそこには何もなかったという。
あの夜見た「家」が幻覚だったのかどうか、今でもわからない。