大学で地理と民俗を研究しているTさんが、サークル仲間と一緒に体験した出来事。
Tさんが所属していたのは「地誌探訪研究会」という、古地図をもとに昔の道や消えた集落を調べるサークルだった。
秋のはじめ、メンバーの四人、Tさん、Yさん、Oさん、そして新入生のMさんは、県境の山中にあるとされる地図に載っていない村を探しに出かけた。
林道を抜け、沢を渡り道なき道を進む。
午後になる頃、ようやく鬱蒼とした木々の間に、崩れた石垣や倒壊した屋根の残骸が見えてきた。
そこが廃村だった。
家の形を保っているものはほとんどなく、草に埋もれた土壁や、苔むした井戸がぽつんと残っているだけ。
鳥の声すら聞こえず、空気は乾いて重かった。
Tさんは古い家の石垣に目をとめた。
近づいてみると、石の隙間に何かが詰められている。
丸く灰色がかった塊━━いや、顔のようなものだった。
まるで粘土をこねて作った人の顔のように、目や口の位置が曖昧だ。
けれど、どの顔もわずかに笑っているように見えた。
一つだけではない。
並ぶようにいくつも埋め込まれており、光の加減で笑みが浮かんだり消えたりする。
空はすでに曇り、木々の影が長く伸びていた。
日が沈む前に戻ろう、とTさんたちは帰り支度を始めた。
背中に湿った風が吹きつけ、葉のざわめきが耳に残る。
そのときだった。
「ガラッ…」
背後で石が崩れるような音がした。
振り向いた瞬間、Tさんは息を呑んだ。
さっき見た石垣の一部が崩れ、土が落ちている。
だがそれだけではなかった。
崩れた隙間から新しい顔が一つ、のぞいていた。
それは他のものよりはっきりしており、目の窪みが深く、口元が不自然に吊り上がっている。
「逃げろ!」
Mさんの叫びで全員が一斉に山道を駆け下りた。
ふもとに戻る頃にはすっかり日が落ちていた。
夜風の冷たさの中で、誰も口を開かなかった。
ただ一つ、Oさんがぽつりと呟いた。
「さっきの顔…動いてたよな?」
後日、撮った写真の中に崩れる前の石垣の影の奥に、光の反射でも影でもないもう一つの笑みが、確かに写っていたという。