Tさんがその銭湯へ行ったのは、秋の終わりの冷え込む夜だった。
大学時代の友人二人と久しぶりに会い、飲みのあと「せっかくだから温まって帰ろう」と、駅近くの古い銭湯に立ち寄ったのだ。
昭和の名残を感じる木の下駄箱、曇ったガラスの引き戸。
店の奥からは、湯気とともに番台のおばあさんの穏やかな声が聞こえている。
脱衣所はこぢんまりとしていて、板張りの床は長年の湿気で少し軋む。
湯上がりの男たちが数人、髪を拭きながら世間話をしている。
Tさんたちは空いている棚に荷物を置き、服を脱ぎはじめた。
そのときだった。
Tさんが靴下を脱いだあと、何気なく脱衣所の隅を見ると、洗濯籠の下側に何か赤いものが見えた。
小さく折り畳まれた布のようなものが、薄暗い床の上に落ちている。
「誰かのハンカチか?」
軽い気持ちで近づいて手を伸ばした。
だが指先が触れる寸前、赤い布の奥に小さな顔が覗いているのが見えた。
それは子どもの顔のように見えた。
白く表情がなく、目だけがまっすぐこちらを見ている。
「…え?」
一瞬のことで何が起こったのか理解できなかった。
すると赤い布が吸い込まれるかのように沈みこみ、そのまま消えてしまった。
Tさんは洗濯籠を持ち上げて裏を見てみたが何もない。
友人のSさんが「どうした?」と声をかけてきた。
Tさんは「なんでもない」と笑って返事した。