
この話は、地方にある終点駅で働くTさんたちの話。
Tさんは入社してまだ1年目で、この日は終電後のホーム清掃の担当だった。
同期のKさんとMさんも一緒で、三人でホーム端のゴミを拾って回り、床を磨き、一部の明かりの落ちた駅の中を黙々と歩いていた。
途中、指導役の上司が腕時計を確認し
「もう大体終わっただろ。
お前らはここ片づけたら上がっていいぞ、俺は先に戻るから」
と言い残し、本当にそのまま事務所へ消えてしまった。
三人は顔を見合わせたが、やることをやるしかないので再び作業に戻った。
ほどなくしてMさんがトイレ清掃に向かい、Kさんは水場の片づけを始めた。
Tさんはホームの最奥━━終点側の、暗いトンネルに一番近い位置を担当した。
この駅は片側が完全に行き止まりになっていて、昼間でも奥まで光が届かない。
まして深夜は、闇がレールの奥に沈んでいるように見えた。
Tさんは箒を持ち、線路側に身を乗り出すようにしてホームの隅を掃き始めた。
そのときだった。
ゴトン。
ゴトン。
レールの奥から、ゆっくりと近づいてくる何かの音がした。
最初は回送車かと思ったのだが、この駅は本当に終点で列車が来るはずがない。
胸がざわついたが、確認しなければならない。
Tさんは懐中電灯を握りしめ、黒い闇の方に光を向けた。
…その瞬間、Tさんは息を呑んだ。
トンネルの奥、レールの上に灰色の塊があった。
列車の影にも動物の姿にも見えない。
ただ塊は地面を這うように進んでくる。
光に照らされた場所で、初めてその輪郭がはっきりした。
無数の人の手のようなものが、塊の下からにょきにょきと伸び、レールに吸いつくようにして前へ進んでいる。
足のような形もあった。
時々、その一部がふっとちぎれて線路に落ち、その落ちた手や足がピクピクと動いてから、力を失うように沈む。
Tさんの喉から声が出なかった。
さらに光を当てたとき、塊の表面に何かが蠢いた。
茶色と黒の斑模様━━見たこともない動物の顔がいくつもくっついていた。
犬にも猫にも似ていない、眼だけが異様に丸く大きい生き物たち。
それらが一斉にTさんの方へ顔を向け、じっと光を反射させた。
血が引く感覚と同時に膝が震えた。
Tさんは箒を落とし、叫び声も上げられないまま背を向けて走り出した。
ホームの階段を駆け上がり、事務所のドアを乱暴に開けた。
事務所には誰もいなかった。
上司は帰ったらしく、同期の二人もまだ作業中だ。
Tさんは震える手で意味もなくテレビをつけた。
深夜通販の明るすぎる声が、逆に怖さを紛らわせてくれた。
息が整うまでしばらく時間がかかった。
足の震えが完全には止まらないまま、Tさんは事務所の隅に腰を下ろし、額の汗を拭った。
ほどなくして清掃を終えたKさんとMさんが、事務所のドアを開けて入ってきた。
Tさんの顔を見た瞬間、二人は異変に気づいた。
「どうしたんだよT?」
Kさんが声をかけると、Tさんは少し躊躇してからかすれた声で言った。
「なんか…変なものがいた」
二人は最初ふざけているのかと思ったのだが、Tさんがそのあとトンネルの奥で見た灰色の塊や、地面を這うように進む無数の手足のこと、そして光を向けたとき一斉にこちらを見た斑模様の生き物の顔、そのすべてを震える声で語りだすと、事務所の空気がひやりと冷えた。
Mさんは黙って立ち上がり、事務所のドアへ向かった。
「…ちょっと見てくる」
ドアをほんの少しだけ開けホーム側を覗き込む。
次の瞬間、Mさんの肩がびくりと跳ねた。
「…いる!ほんとになんか、いる!」
その声はか細く震えていた。
Kさんも恐る恐る覗こうとしたが、Mさんが慌ててドアを閉めて鍵をかけた。
閉じる瞬間、遠くのレールからあのゴトン、ゴトンという音に混じる、何かが這うような湿った音が微かに聞こえた。
三人は言葉を失い、事務所の真ん中に集まった。
外から漂ってくる気配に耳を澄ませるたび、肌が粟立った。
「あれ、こっち来たりしないよな?」
Kさんが呟いたが誰も答えられなかった。
とにかく鍵をかけ、電気を全部つけ、テレビの音を大きめにして、恐怖をごまかすように三人で身を寄せ合った。
それでも外の気配が消えることはなく、誰一人眠れなかった。
朝になるまで三人は震えるまま、事務所の中で一晩を過ごした。
夜が明け駅に日差しが差し込んだころ、ホームの先を確認しに行くと、レール上には柿がいくつも転がっていた。
熟れきってやわらかく、ところどころ潰れ、しぼんでいるものもあった。
手や足の形もあの斑模様の生き物の姿も、どこにもなかった。
ただ、柿だけが線路の上に静かに並んでいた。