
夏の終わり、日が山の稜線に沈みかけていた頃。
Mさんと友人のTさん、Kさんの三人は、田舎の山奥でひっそり噂になっている場所へ向かっていた。
ネット上で数年前に流れた、ほとんど都市伝説みたいな書き込み。
・山の奥の傾斜道を登っていくと、道とは思えない細い獣道があり、その先に放置された旧研究棟がある。
・夜になると建物の周辺で何かのうめき声のようなものが聞こえる。
・地下にB室と呼ばれる部屋があり、そこには何かが残っている。
ほとんど作り話だろ、と三人は笑っていたが肝試しにはちょうどいい。
懐中電灯を片手に道を登り始めた。
木々に覆われた細い道は薄暗く、獣の気配すら漂っている。
やがて雑草の隙間にくすんだ白い建物が見えた。
鉄骨がむき出しで、窓ガラスはほとんど割れている。
夕闇の中に沈んだその姿は、ただの廃墟以上の嫌な威圧感を放っていた。
本当にあったんだ!?と3人は騒ぎ、Tさんが懐中電灯のスイッチを押す。
室内はすでに真っ暗で、照らされた床には土埃と書類の切れ端が散らばっていた。
三人は一通り部屋を見て回ったが、よくある廃墟の事務所や休憩室ばかりで、実験室らしい部屋はない。
「噂はやっぱり嘘か」とKさんが肩をすくめた頃、Tさんが事務所の机を漁りながら声を上げた。
「おい、地図あったぞ!」
薄くて黄ばんだ紙。
端は擦り切れ、何度も折られた跡がある。
その地図には小さく「B1実験区画」と書かれた場所があり、事務所横の壁の奥に階段があると示されていた。
三人はその地図の場所に向かったのだが、そこには古びた木製の棚が立てかけられているだけだった。
だが、よく見るとその裏側にドアの縁のような線がうっすらと浮かんでいる。
「マジかよ…」
三人は棚の中のものをどけ、軽くしてから退けてみると…。
ほこりにまみれたドアが現れた。
鍵は掛かっていなかったようで、あっさりと開いた。
ひやりと冷気が流れ出し、階段が闇の底へと落ちていた。
慎重に階段を降りると、地下にはいくつもの部屋が並んでいた。
ドアはほとんど半開きで、金属の枠が錆びて崩れかけている。
なんとなく手近な部屋に入ると、そこは実験室らしき空間だった。
鉄の棚は赤茶けて歪み、木製のラックは湿気で黒ずんでいる。
棚の中には小瓶がいくつもあり、割れたもの、腐った液体が固まったもの━━そして濁ったホルマリンに沈む、形のわからない臓器のようなものが浮かんでいた。
「最悪…」Mさんが後ずさったとき、不意にTさんが声を潜めて言った。
「奥の部屋…鍵かかってる」
その扉のプレートには、かすれた文字で「B室」と刻まれていた。
ドアを押すと簡単に開いた。
中を懐中電灯で照らした時、三人は言葉を失った。
部屋の中央には分厚いガラスで囲われた円筒状の装置。
その中に何かが浮いている。
光を当てるたび表面がぬるり蠢き、透けた粘膜のような膜が呼吸するように膨らんだり萎んだりしていた。
人でも動物でもない。
形が定まらない。
ただ確かに生きている。
「なんかヤバそうだ…帰ろうっ」
Kさんが後退りしたその時だった。
ふいにそれが止まった。
まるで呼吸を止めたかのように、膨張も収縮もしなくなり完全な静止。
直後、ぬらりと表面が蠢き、小さな黒い斑点がひとつ現れた。
それはやがて形を変え、輪郭を帯び瞳孔を持った目になった。
そしてMさんたちのほうを、じっと見た。
「逃げろ!!」
Tさんが叫んだ瞬間、ガラスの表面にひびが走った。
内部の何かが、外へ向かって押し出そうとしているのが見えた。
三人は恐怖で足をもつれさせながら廊下へ飛び出し、階段を駆け上がり、棚を押しのけて地上へ向かった。
建物を出るまでの記憶は途切れ途切れで、気がつけば建物を出ていた。
恐る恐る振り返って建物の内部を照らすと、薄暗い廃棟の中━━扉の隙間に黒い目のような影がひとつ、ゆっくりと動いて消えていった。