
古い地下駅の改修工事に関わっていた作業員、Aさんたちの体験。
その駅は地方の古い線で完成から数十年経っており、構内図にも載っていない旧改札が奥にあると聞かされていた。
ある日、Aさんは先輩のKさん、後輩のMさんとともに、閉鎖されて久しいその旧改札付近の調査を任された。
照明は取り外されており、空気はひっそりと冷えている。
懐中電灯だけが頼りで三人は薄暗い通路を奥へ進んだ。
旧改札の鉄枠は錆びついており、その後ろはコンクリートで覆われている。
だが壁の一部だけ妙に黒ずみ、わずかに隙間が空いているように見えた。
Aさんは何気なくその隙間に目を向け━━そこで息を止めた。
壁の奥に影があった。
風の流れなど全くないのに、その影だけがゆらりと細く揺れた。
「今、なにかが動きましたよね?」
Aさんが囁くとKさんも黙って頷いた。
不審に思ったAさんは懐中電灯を近づけ、隙間に光を押し込むように照らした。
そこで初めて壁の裏側に、さらに狭い通路が続いていることに気づいた。
正式な構造図にも記されていない、奇妙に細い点検用のような空間。
その奥に何かがいた。
細長い四つ足。
だが犬や猫の動きではない。
壁に張りつくようにして、体の側面をゆっくりと滑らせていた。
骨ばった影がコンクリートに沿って歪み、しんとした空気の中で形だけが淡く浮かびあがる。
Mさんが震える声で
「生き物…なんですかね、あれ…」と呟く。
懐中電灯の光がわずかでもそちらへ近づくと、そいつは音ひとつ立てず、すっと通路の奥へ消えた。
三人はその場から一歩も動けなかった。
恐怖が限界に達したのはAさんだった。
「帰りましょう…やばいです…これ以上は絶対まずい…」
三人は急いで階段を駆け上がり、作業事務所へ戻った。
あまりに必死な様子のせいで周囲は驚いたが、Aさんはそこで見たものを上司にそのまま伝えた。
しかし上司は半信半疑。
「動物を見間違えただけじゃないのか?」
翌日、上司は別の作業員二人を連れて同じ場所を確認しに行った。
Aさんたちは止めようとしたが、聞き入れられなかった。
数時間後。
戻ってきた上司の顔は血の気を失っていた。
作業員の一人は手が震えており、もう一人は何も喋らない。
上司は低く、掠れた声でただ一言だけ言った。
「…見た。お前たちが言った影みたいな四つ足のやつ…あれは…あれは人間の動きじゃない…」
上司はその日でその駅の管理を放棄し、会社に仕事の辞退を申し出た。
作業員二人も転属を願い出たという。
旧改札の調査はそのまま中止され、封鎖は以前より厳しくなった。
それ以来、駅の深夜巡回では改札裏の壁の向こうから、誰も通らないはずの狭い通路で、「コツ、コツ」と軽い爪のような音が聞こえるそうだ。