
じいちゃんがまだ二十代だった頃の話。
秋の終わり、山の畑で夜明け前から作業に向かっていた。
山間の畑は冷え込みが厳しく、霧が立ち込めることもある。
じいちゃんは霜が降りる前に収穫を終えようと、まだ暗い中を懐中電灯ひとつで畑に向かった。
畑に着いた頃、空はうっすらと明るくなり始めていたが、周囲はまだ薄暗く、木々の影が長く伸びていた。
じいちゃんが鍬を手に作業を始めたその時、畑の端で何かが動いた。
鹿だろう、山では珍しくない。
だが様子がおかしい。
それは鹿のような四つ足で立っていたが、頭の部分が異様だった。
顔がない。目も鼻も口もない。
ただ首が細く長く伸びていて、先端が空気を探るように揺れていた。
まるで触手のように左右にゆらゆらと。
じいちゃんは思わず鍬を落とした。
カラン、と音が鳴った瞬間、そいつの首が急に縮んだ。
まるでゴムのように、しゅるっと体に戻ったかと思うと、次の瞬間、体全体が真横に滑るように移動した。
足を動かしているようには見えなかった。
地面を滑るように音もなく。
じいちゃんは息を呑んだ。
動けなかった。
そいつは畑の端に移動すると、しばらくじっとしていた。
首はもう伸びていない。
ただ、じいちゃんを見ているような気配だけがあった。
やがてそれは森の方へと消えていった。
じいちゃんはしばらくその場に立ち尽くしていたが、ようやく動けるようになり、畑の端へと近づいた。
そこには蹄の跡が四つ、円を描くように並んでいた。
普通の鹿の足跡とは違う。
その跡は、じいちゃんが見た顔のない鹿が最後にいた場所だった。
じいちゃんはその日、収穫を途中で切り上げて山を降りた。
誰にもその話はしなかった。話しても信じてもらえないと思ったからだ。
それから何十年も経ち、じいちゃんがその話をしてくれたのは、俺が中学生の頃だった。
秋の夜、縁側で星を見ながら、ぽつりと語った。
俺は笑えなかった。
じいちゃんの目は真剣だった。
その後、俺はその畑の場所を地図で調べた。
今はもう使われていない。
雑木が生い茂り、道も途切れている。