Sさんが中学生だった頃、夏休みの夜に体験した出来事。
その年の夏は連日蒸し暑く、日が沈んでも生ぬるい風がまとわりつくような夜が続いていた。
学校は休みに入り時間に余裕ができたSさんは、同じ中学の友人のTさん、Mさん、Yさんと夜に自転車で遊びに出かけていた。
二十時ごろ。
川沿いは湿ったような空気が漂っていて生ぬるい。
その日は四人で夜釣りをしようという事で、地元の淵へ向かった。
その淵は深さがあり、昼間でも底が見えない。
水面は黒く沈み、周りの木々の影が水に落ちて、ときどき妙な模様に揺れることで知られていた。
遊び半分の夜釣りとはいえ、暗闇の中で川の音だけが続く。
竿の先は動かず、虫の声が遠くでかすかに聞こえるだけ。
ふとSさんは気まぐれで、懐中電灯の光を川面に向けた。
その瞬間、黒い淵の底から何かがゆっくりと浮かんでくるのが見えた。
最初は魚だろうか?と思ったのだが、形が魚とは思えない。
丸みがあって細長い影が揺れている。
見ていて気がついた、水にふやけた人の手だった。
白くしわしわに膨れた皮膚。
深くシワの刻まれた指先。
五本の指が広がったまま、ぷかりと水面近くへ上がってくる。
手首より先は、水の闇に完全に溶けたまま見えない。
懐中電灯の光に照らされると、その手は水面ぎりぎりの高さで止まった。
その手は上下左右へゆっくりと擦るような動きを始めた。
まるで手を洗っているように見える。
中学生だったSさんは寒気を感じて固まった。
自分だけじゃない。友人たちがいる方を見てみると、3人ともそれが見えているようだ。
手はひたすら水面を撫で続ける。
何度も何度も、何かを洗い落とすように。
Sさんが怖さに耐えきれず目を瞑った時、友人の誰かが
「消えたっ!」と叫んだ。
Sさんが目を開けると、手は消えていた。
水面には波紋が広がり、黒い淵は元の静けさを取り戻していた。
友人の誰かが「逃げるぞ!」という叫び声で我に返った。
皆急いで荷物をつかみ、竿もその他の道具も雑にリュックに突っ込み、一斉に自転車が置いてある方へ走った。
皆で急いで乗り込むと、逃げるように走り出す。
ペダルを踏む足は震えていたのに、必死で漕いだ。
川の湿った空気が背後から追いかけてくるようで、誰も振り返らなかった。
Sさんの家が見えたとき、全員がほっとしたように玄関へ駆け込んだ。
明かりの下に入った途端、体の奥からどっと汗が噴き出したという。
あの淵で見た手を洗う何か。
Sさんたちは興奮気味にそれの話をしつつ、怖さを紛らわすためにテレビを観たりゲームをして過ごしたそうだ。