会社員のSさん(20代男性)は、その日、仕事の都合で洗濯が遅れ、深夜の2時に近所のコインランドリーを訪れた。
外はあいにくの雨。
激しく叩きつける雨音がプレハブ造りの店内に反響して、妙な圧迫感を生んでいた。
店内には乾燥機が回る低い唸り音だけが響いている。
先客はいない。
Sさんは自分の洗濯物を乾燥機に放り込み、30分のタイマーをセットした。
手持ち無沙汰になった彼は、店内の隅にあるベンチに腰掛けスマホを眺めていたが、ふと顔を上げた。
そこにはずらりと並んだ乾燥機の列。
その中の一つ、Sさんの斜め向かいにある乾燥機が、猛烈な勢いで回転していた。
(…あれ?)
よく見るとその乾燥機の中には何も入っていない。
空のはずだ。
なのにドラムは異様な速さで回り続け、遠心力で何かがガラス面にバチバチと当たる音が聞こえてくる。
気になったSさんは、吸い寄せられるようにその乾燥機の前に立った。
丸いガラス窓を覗き込む。
回転の勢いで風を切る音が、まるで誰かのすすり泣きのように聞こえる。
その時だ。
ガラスの表面に反射した店内の風景に、Sさんは違和感を覚えた。
反射して映るベンチ。ゴミ箱。雑誌ラック。
それらはすべて、今自分が背負っている現実の風景と同じはずだ。
しかし、映り込んだベンチの上に、現実には存在しない真っ黒な塊が座っていた。
それはボロ布を何層にも重ねたような、歪な人の形をしていた。
塊はゆっくりと反射の中のベンチから立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
Sさんは反射の中のそいつと目が合わないよう、必死に視線をドラムの中へ落とした。
すると空のはずのドラムの中に、一瞬だけ何かが見えた。
真っ白な、水に濡れてふやけた人間の足だ。
それが洗濯物のように、遠心力に振り回されてはガラスに叩きつけられている。
バチッ、バチッ、という音は、肉が硬いガラスにぶつかる音だったのだ。
恐怖で腰が抜けそうになりながら、Sさんは後ずさりをした。
だが、その拍子に足元で「ピチャッ」という音がした。
見ると乾燥機の排気口から、あり得ないほどの量の「水」が溢れ出し、店内の床を濡らしていた。
外は雨だが屋内まで浸水するはずがない。
その水は死臭のような、ひどく生臭い泥の匂いがした。
反射の中の塊が、もう目と鼻の先まで迫っている。
ガラスの中の風景では、その塊が乾燥機の扉に手をかけ、こちらの世界へ引きずり出そうと無理やりこじ開けようとしていた。
Sさんは洗濯物を放置したまま、土砂降りの外へと飛び出した。
一刻も早くこの場を離れたい。
駐車場に停めた車に飛び乗り、エンジンをかけようとした時、彼はフロントガラス越しに店内の様子を見てしまった。
さっきまで彼がいた乾燥機の前に、ずぶ濡れの髪の長い女が立っていた。
女はゆっくりとこちらを向き、自分を置き去りにしたSさんを睨むように、自分の首をぐるりと一回転させて、じっと見つめていた。
翌日、Sさんが恐る恐る忘れ物を取りに店へ戻ると、そこには乾燥機が静かに並んでいるだけだった。
店員に昨夜のことを聞くと、不思議そうな顔でこう言われたという。
「昨夜は24時で自動ロックがかかって、誰も入れなかったはずですよ。
…おや、お客様。その服、どこで汚されたんですか?」
見るとSさんの肩口に、泥の付いた手形がべったりと付いていた。
あの日以来、Sさんは二度と深夜のコインランドリーには近づかないという。