これは、青果市場から市内のスーパーへ、野菜を運んでいた配送業者のKさん(当時50代男性)が、数年前に体験した話。
冬の午前5時。
まだ空は深い紺色に沈み、街灯だけが凍てついたアスファルトを照らしている。
Kさんは予定より30分ほど早く、担当のスーパー「〇〇ストア」の裏口に到着した。
通常、搬入口のシャッターが開くのは5時半。
Kさんはエンジンの熱が残るトラックの運転席で、缶コーヒーを啜りながら時間を潰していた。
ふと、店舗の奥にある「検品室」の窓に、明かりが灯っているのが見えた。
(…おや、今日は店長が早く来てるのかな)
早く荷物を下ろせれば次の配送も楽になる。
Kさんはトラックを降り、静まり返った駐車場の砂利を踏みしめながら、従業員用の入り口へと向かった。
ガラス戸越しに中を覗くと、検品室の明かりの下で誰かが作業をしているのが見えた。
白い作業服に身を包んだ、小柄な人物だ。
その人物は、積み上げられた段ボールの山に向かって、せっせと何かを詰め込んでいる。
「おはようございます、早いですね」
Kさんはドアを軽く叩き声をかけた。
だが返事はない。
中の人物はKさんに背を向けたまま、異様なほどの速さで腕を動かしている。
「ガサガサ…ッ、ガサガサササッ!」
ビニールが擦れる、乾いた音が外まで漏れてくる。
(…忙しいのかな?)
Kさんは少し怪訝に思いながらも、もう一度ドアをノックしようとして手を止めた。
中の人物の動きが、あまりに「不自然」だったからだ。
その人物は腰から下がなかった。
作業台の上に直接、上半身だけが乗っかっているような、そんな高さで激しく動いている。
そして、段ボールに詰め込んでいるのは、野菜でも商品でもなかった。
それは、土まみれの「長い髪の毛」の束だった。
自分の頭から引きちぎったのか、あるいはどこからか持ってきたものか。
白い作業服の人物は、狂ったように髪の毛を箱に詰め込み、それを素手で「ギュッ、ギュッ」と、まるで重石をかけるように押し潰している。
「…う、あ、あ…」
微かに聞こえてきたのは呻き声。
恐怖で動けなくなったKさんの視線に気づいたのか、その人物の動きがピタリと止まった。
そして首だけが真後ろに、骨が軋む音を立ててゆっくりと回転し始めた。
「…ッ!!」
Kさんは悲鳴を飲み込み、全速力でトラックへと逃げ戻った。
震える手でキーを回し、バックモニターも見ずに駐車場を飛び出した。
明るくなり、戻ってきたKさんは恐る恐るその店の店長に
「朝5時頃、誰か検品室にいましたか?」
と尋ねてみた。
店長は不思議そうな顔で答えた。
「いいえ、私が一番乗りでしたが、5時半までは誰もいませんでしたよ。
…ただ最近、検品室の隅にある段ボールから、土のついた長い髪の毛が大量に見つかるっていう苦情が、品出しのスタッフから出てるんですよね。
気味が悪いから、業者を呼んで清掃しようと思ってるんです」
Kさんはその日を境に、そのスーパーの早朝配送の担当を外してもらったという。
今でも冬の暗い朝、スーパーの窓に明かりがついているのを見ると、あの「髪の毛を詰める音」が耳の奥で蘇るのだと、Kさんは青ざめた顔で語ってくれた。