システム会社に勤務するFさんが、締め切り間際の作業で夜22時のオフィスで残業していた時のこと。
広大なフロアの明かりは自分のデスク周辺と、遠くにある非常口の誘導灯だけ。
静まり返った室内には自分のタイピング音と、サーバーラックの低い駆動音だけが響いていた。
突然、沈黙を切り裂いて電話が鳴った。
「プルルル…プルルル…」
深夜の静寂の中、その音は異常に大きく聞こえた。
Fさんは心臓を跳ねさせながら、近くにある共用の電話機を手に取った。
液晶画面を確認すると、そこには「内線9番」と表示されている。
(9番…?)
このオフィスには10番台からの番号しか割り振られておらず、1桁の番号など存在しないはずだ。
不審に思いながらも受話器を上げると、受話器越しに激しい砂嵐のようなノイズが流れ込んできた。
『…お…ねし…い…』
ノイズの隙間からひどくかすれた、性別も判別できない声が漏れた。
「もしもし?」
Fさんの問いかけに答えることなく、プツリと通話は切れた。
嫌な汗が背中を伝う。
Fさんは気分転換に温かい飲み物を買おうと立ち上がり、フロアの奥にある自販機へ向かおうとした。
その時、違和感に足が止まった。
窓際に見慣れないデスクがある。
スチール製のひどく古臭い灰色の机。
いつもならそこは、何も置かれていないスペースだったはずだ。
吸い寄せられるように近づくと、机の上には埃を被った古い内線電話機が置かれていた。
引き出しが少しだけ開いている。
中には黄ばんだプラスチック製の社員証が入っていた。
「営業部 佐久間」
数十年前に突如失踪し、いまだに行方がわかっていないという社員の名前を、Fさんは社内の古い噂話で聞いたことがあった。
その時、再び呼び出し音が鳴り響いた。
今度はフロア中の電話機が一斉に鳴っている。
「プルルルルル!!」
耳を塞ぎたくなるような轟音。
同時に背後の複合機がガシャン、ガシャンと不自然な音を立てて動き出した。
排出口から次々と紙が吐き出される。
Fさんが恐る恐る近づき、手でその一枚を手に取ると、そこには自分のデスクで作業する今の自分の姿が印刷されていた。
しかし、その顔の部分だけが、まるで炭で塗りつぶされたように真っ黒に塗りつぶされている。
紙は止まらない。
吐き出されるたびに塗りつぶされた黒い範囲が広がり、文字の判別もできない真っ黒なページが床を埋め尽くしていく。
「ヒッ…!」
Fさんは荷物もそのままに、非常階段へ向かって駆け出した。
翌朝。
「おはよう。Fさん、昨夜は根詰めてたね。あんまり無理しないほうがいいよ」
「ええ……まあ、ちょっと。……え、見てたんですか?」
「夜23時過ぎかな。忘れ物を取りに戻ったんだけど、Fさんがまだデスクにいたからさ。『お先に』って声をかけたんだよ」
Fさんは息が止まるのを感じた。
自分は恐怖に耐えかねて、22時過ぎにはオフィスを飛び出したはずなのだ。
「…僕は、何か反応してましたか?」
「いや、それがさ。声をかけてもこっちを向かないで、ずっと下を向いたままガタガタガタッ!って、ものすごい勢いで電話のボタンを叩いてるんだ。
一瞬、こっちに手を上げて合図したみたいだったけど、指が不自然な方向に曲がってるように見えて…正直、話しかけちゃいけない雰囲気だったから、そのまま帰ったんだよ」
同僚は少し顔を曇らせて、Fさんのデスクにある電話機を指差した。
「受話器、外れたままになってるよ。昨日からずっと誰かと話してたんじゃないの?」