友人のIさんから聞いた話。
Iさんは、会社からようやくまとまった休暇をもらい、リフレッシュしようと山奥にあるG県の旅館へ向かっていた。
Iさんが旅館に到着したのは昼過ぎ。
周囲を高い山々に囲まれたその旅館は古びた木造建築で、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
Iさん以外に他に客はいないようで、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
早速荷物を部屋に置き、Iさんは周辺の山を散策した。
夕方になり、旅館に戻ってきたIさんは、温泉で旅の疲れを癒そうと露天風呂へ向かった。
熱いお湯に浸かり、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。頭の中を何も考えないようにしていると、静寂の中、かすかに水音が聞こえた。
何気なく音の方向を見ると、Iさんから少し離れた湯船から何かがゆっくりと浮き上がってくる。
なんだ?まさか動物か?と目を凝らしてみていると、それは肩まで伸びた白髪と皺だらけの顔を持つ、老人の姿だった。
しかし老人はIさんを見ることもなく、ただただ湯船に浮かびながら、ボーっと前方を見つめていて、しばらくすると再び湯の中に沈んでいった。
え!?と何事かわからず呆然としていたが、いつまで経っても老人が上がってこない。
まさか溺れてるのか!?と近づいてみたが、湯の中には姿が見当たらない。
周りを見渡したがそれらしい姿も見当たらない。
Iさんは驚き、急いでその場を離れて旅館の主人に今起きたことを話した。
しかし主人はIさんの話を信じようとはせず、「気のせいですよ、疲れてたのかもしれませんよ」とにっこりと笑った。
Iさんは「確かにずっと働き詰めで疲れてたからな」と部屋に戻った。
話はそこで終わったので、Iさんにその後は現れなかったのか?と聞いたのだが、老人を見たのはその日だけだったそうだ。