怖い話と怪談の処

ブログ名の最後の文字は(ところ)と読みます。怖い話や不思議な話が大好きな方、是非ご堪能下さい。記事への★ありがとうございます。

音のない青い霧の村

田舎巡りが趣味のHさんは、今日も地図を頼りに人里離れた集落を探して山道を走っていた。

古い農村の風景や、忘れ去られたような神社を見つけるのが好きだった。

 

しかしこの日は少し様子がおかしかった。

午前中から深い霧が出ていて、山道はまるで白い壁に包まれているようだった。

「こりゃ、どこまで行っても同じ景色に見えちゃうな」

Hさんはそう呟き、少し焦りを感じ始めていた。

気づけば車のナビも圏外になり、頼れるのは感覚だけになっていた。

霧はますます濃くなり、視界は数メートル先も見えないほどになった。

そんな中、Hさんはハンドルを切り損ね、車を細い脇道に乗り入れてしまった。

仕方なくその道を進んでいくと、突然、霧の向こうにぼんやりと建物の影が見えてきた。

 

「村か?」

Hさんは思わず息を呑んだ。

こんな山奥に地図にも載っていない村があるとは。

車を降り、ゆっくりと足を踏み入れた。

辺りは夕方だったが、夏だというのに妙に薄暗い。

そしてその薄暗さには、なぜか青みがかった色が混じっていた。

村全体が薄い霧に包まれながら、青い色を帯びているように見えたのだ。

まるで深い海の底にいるような、不思議な感覚だった。

 

Hさんが歩き始めると、何人かの村人が姿を現した。

彼らは皆、古めかしい灰色がかった着物を身につけていた。

顔立ちもどこかぼんやりとしていて、表情が読み取れない。

Hさんが「こんにちは」と声をかけても、誰も返事をしない。

彼らはHさんの方をじっと見つめているのだが、口元がかすかに動いているのが見えた。

しかしどんなに耳を澄ましても、Hさんには一切の言葉が聞こえてこなかった。

まるで音のない世界にいるかのような、奇妙な感覚だった。

Hさんは少し大きな声で話しかけてみたが、やはり何も聞こえない。

村人たちはただ、じっとHさんを見つめ、口だけを動かしていた。

その沈黙と青い霧に包まれた村の光景が、Hさんの背筋をぞくりとさせた。

 

やがて完全に日が沈み、村は一層青い闇に包まれた。

Hさんはこの村に留まるべきではないと直感したが、すでに車のエンジンはかからなくなっていた。

仕方なく明日の朝まで、村の一角にあった古い納屋で一夜を過ごすことにした。

納屋の中はひんやりとしていて、外から聞こえる風の音だけがHさんの孤独を際立たせた。

Hさんは不安な気持ちを抱えながら、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

翌朝、Hさんは冷たい空気で目を覚ました。

納屋の隙間から差し込む光は、昨日見た青い光ではなかった。

ごく普通の夏の朝の光だ。

Hさんは起き上がり外に出た。

しかし、Hさんの目に飛び込んできたのは驚くべき光景だった。

 

そこには村など、どこにもなかった。

昨日確かに見たはずの家々は、土台すら残っていない。

舗装されていないはずの道は草木に覆われ、ただの獣道に戻っていた。

Hさんが一晩を過ごした納屋も、まるで元から朽ち果てていたかのように、今にも崩れ落ちそうな廃材の山と化していた。

青い霧も口を動かすだけの村人も、何もかもが消え去っていた。

まるで昨日の出来事がすべて夢だったかのように。

 

Hさんは呆然と立ち尽くした。

もしかしたら昨日のあの村は、この森の中に迷い込んだ旅人を惑わす、まぼろしだったのだろうか。

それともあの青い霧の中に、別の時間が流れていたのだろうか。