家賃の安さには必ず理由がある。
それは設備の古さだったり、立地の悪さだったりするが、稀に「それ以外の何か」が理由である場合がある。
今回、震える声で体験を語ってくれたのは、地方から上京して間もないMさん(20代男性)。
彼は都内近郊にある、築40年を超える木造アパートの角部屋に入居した。
周囲の相場より3万円以上も安いその部屋は、内装こそ綺麗にリフォームされていたが、どこか湿り気を帯びたような重い空気が漂っていたという。
「異変に気づいたのは、引っ越して3日目の夜でした。
寝静まった深夜2時頃、枕元の押し入れの中から音が聞こえてきたんです」
パリッ、パリッ…。
乾いた紙を指先で強く折るような、規則正しい音。
最初は古い木材が軋んでいるのか、あるいはネズミの類かと思った。
だが、その音はあまりにリズミカルで、人間が何かを「工作」しているかのような意志を感じさせた。
翌朝、Mさんは恐る恐る押し入れを開けてみたが、中は空っぽだ。
天袋にも不審なものはない。
だが、その日の夜も、次の日の夜も音が止むことはなかった。
パリッ、パリッ、シュッ…。
最後には、紙の端を爪で強くしごくような嫌な音まで混じり始めた。
「ある日の仕事帰り、部屋に入って電気をつけた瞬間、心臓が跳ね上がりました。
押し入れの襖の隙間から真っ白な『折り鶴』が一つ、畳の上に滑り出していたんです」
Mさんは恐る恐るその折り鶴を拾い上げた。
どこにでもあるコピー用紙を正方形に切って折られたような、歪な形の鶴。
ふと気になって、その折り鶴を丁寧に広げてみた。
すると、Mさんの全身から血の気が引いた。
紙の内側には、狂気を感じさせるほどの小さな文字で、びっしりと何かが書き込まれていたのだ。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…』
枠線も無視して、紙の端から端まで「ごめんなさい」の文字が、黒いボールペンで幾重にも重なるように埋め尽くされている。
Mさんはその紙をゴミ箱に捨て、その夜は電気をつけたまま眠りについた。
だが、恐怖の本番はそこからだった。
深夜、ふと目を覚ますと、部屋の中が「雪」でも降ったかのように白くなっていた。
押し入れの隙間、畳の合わせ目、さらにはコンセントの穴からさえも、無数の「白い折り紙」が溢れ出していたのだ。
それらはすべて、あの日見た折り鶴と同じ形をしていた。
パリッ、パリッ、パリパリパリパリ…!部屋中に、紙が折れる激しい音が鳴り響く。
見ると、溢れ出した紙たちは生き物のようにうねりながら、床を這ってMさんの布団へと集まってきた。
「声を出そうとしても、喉が締め付けられるようで出ない。
金縛りとは違う、物理的な重みを感じたんです」
Mさんの視界を真っ白な羽が覆い尽くす。
数千、数万という折り鶴たちが、Mさんの手足、胴体、そして顔を包み込んでいく。
紙の角が皮膚をチクチクと突き、その一枚一枚に書かれた「ごめんなさい」という無数の囁きが、脳内に直接流れ込んでくる。
『ゆるして』『たりない』『もっとおらなきゃ』
意識が遠のく中、Mさんは最後に、押し入れの奥で「関節が逆方向に曲がった白い指」が、猛烈な勢いで新しい紙を折っているのを見た。
その指先からは、爪が剥がれたあとのような赤い血が滲み、白い紙を点々と染めていたという。
翌朝目が覚めると、部屋には何一つ落ちていなかった。
折り鶴も、紙屑も何もない。
ただ、Mさんの体中には、鋭い紙の角で付けられたような「切り傷」が、文字の形を描くようにびっしりと刻まれていた。
「すぐに不動産屋に連絡して解約しました。
清掃員の人に聞いたら、以前そこに住んでいた女性が、強迫観念に駆られたように、一日中折り紙を折り続けていた…という話を聞かされました」
Mさんは今でも、コピー機から吐き出される紙の音や、封筒を開ける「パリッ」という音を聞くだけで、自分の皮膚が薄い紙に変わってしまうような錯覚に陥るという。
あなたの家の押し入れ。
もし夜中に、何かが折れるような乾いた音が聞こえてきたら。
どうか、隙間から滑り出してきた「それ」を広げようなどと思わないでほしい。
その謝罪の言葉は、次はあなたの指を使って書き足されることになるのだから。