都内の旅行代理店で働いているKさんが、まだ高校生だった頃の話。
その年の夏休み、Kさんは友人4人と一緒に、地元の山奥にある放置されたペンションへ行くことになった。
そこはネットのオカルト掲示板で、「入ると自分の本当の姿が見える」という妙な噂が囁かれている場所だった。
原付バイクを走らせ、街灯が完全に途切れた山道を上っていく。
生い茂る木々に遮られ、月明かりすら届かない漆黒の闇の中、ライトの光に浮かび上がったのは、蔦に覆われた洋風の二階建ての建物だった。
入り口のドアは腐り落ちており、隙間から簡単に中へ入ることができた。
一歩足を踏み入れて、Kさんたちは異様な光景に息を呑んだ。
玄関ロビーの壁、廊下、そして各客室の扉。
いたるところに、大小様々な鏡が隙間なく取り付けられていた。
経年劣化でどれも黒く歪み、埃を被っている。
懐中電灯の光を向けると、無数の鏡に自分たちの青白い顔が乱反射して映り込み、それだけで強烈な不快感を覚えた。
「うわ、何これ…気味が悪すぎるだろ」
友人たちと肩を寄せ合いながら、リビングだったと思われる一番広い部屋へと進む。
そこもまた、壁一面が巨大な合わせ鏡のようになっていた。
特に何も起きないことに少し安心しつつも、Kさんは鏡に映る自分たちの姿を何気なく眺めていた。
その時、奇妙な違和感に気づいた。
鏡の中に映っている友人たちの様子がおかしい。
現実の友人たちは、「大したことないな」と笑いながら部屋を探索している。
しかし、鏡の中の彼らは誰も笑っていなかった。
それどころか、全員が血の気が引いたような顔で、がたがたと激しく震えている。
そして鏡の中の友人たちは一様に、現実のKさんの背後を、恐怖に満ちた目で指差している。
なぜ、鏡の中の動きが現実とズレているのか。
Kさんは冷や汗をだらだらと流しながら、鏡の中の自分が指差す先…つまり、自分のすぐ後ろを恐る恐る振り返った。
そこには誰もいない、ただの汚れた壁があるだけだ。
ホッと胸を撫で下ろし、再び正面の鏡に目を戻した瞬間、Kさんは恐怖で叫びそうになった。
鏡の中のKさんのすぐ後ろに、髪の長い女がぴったりと張り付いていた。
女は首を不自然に横に傾け、鏡越しに現実のKさんの目をじっと見つめていた。
その顔はどす黒く変色し、あり得ないほど大きな口を開けて笑っている。
さらに恐ろしいことに、鏡の中の女がゆっくりと手を伸ばし、画面のこちら側へ向かって、鏡の表面を内側から爪で引っ掻き始めた。
キィィ、というガラスを引っ掻く不快な音がハッキリと聞こえる。
「おい!逃げろ!!」
Kさんは絶叫し、友人たちの肩や手を叩き部屋を飛び出した。
異変に気づいた友人たちも、理由を聞く間もなく後に続く。
廊下を走りながら後ろ見ると、あの女が猛烈な勢いで四つん這いになって追いかけてくるのが見えた。
死に物狂いでペンションを飛び出し、原付バイクに飛び乗って山道を一気に駆け下りた。
麓の街まで降りてきた時、全員がガタガタと震えていた。
「今日、俺の親、夜勤でいないんだ。頼むから誰か一緒にいてくれ」
一人の友人が泣き出しそうな声で言った。
一人で自分の部屋に帰ったら、家にある鏡にあの女が映っているかもしれない。
そう思うと、全員一致で彼の家へ向かうしかなかった。
友人の家に駆け込むと家中のカーテンを閉め切り、洗面所や姿見など、鏡という鏡にすべてバスタオルを被せて見えないようにした。
それからテレビをつけ、録画してあったバラエティ番組や映画のDVDを片っ端から再生した。
無音になるのが何よりも恐ろしかった。
少しでも音が途切れると、また引っ掻く音が聞こえてきそうだったからだ。
その後は異変は起きなかったが、今でも引っ掻く音が聞こえると思い出してしまうという。