取り壊しを目前にした旧地下鉄の管理施設。
そこにSさんたちは、夜中こっそり入り込んだ。
Sさんは大学で都市伝説のレポートを書いていて、「閉鎖された施設には、記録にない階がある」という噂を確かめるために来たのだ。
同行したのは同じゼミのTさんとKさん。
三人とも懐中電灯を手に、錆びついた鉄扉を押し開けた。
中は湿った空気が充満していて、コンクリートの壁は黒ずみ、古い蛍光灯がところどころでちらついていた。
施設の地図は入口近くの壁に掲げられており、そこには確かに「地下二階」までしか記されていなかった。
しかし、操作盤の壊れかけたエレベーターに近づいたとき、三人は思わず息を呑んだ。
表示板には、かすれた赤いランプで「B4」と浮かんでいたのだ。
「…地下四階?地図にないのに?」
Tさんが首を傾げると、Kさんは笑いながらボタンを押した。
「せっかくだから、行ってみようぜ」
重たい音を立てながら扉が閉まり、エレベーターはゆっくりと沈んでいった。
だが途中で一度、ふっと明かりが消え、金属が軋むような音が響いた。
再び照明がついたとき、表示板の数字は「B2」を通り越し、見たことのない「B4」に変わっていた。
「…四階?」Kさんの声が震えた。
エレベーターが止まり、扉が開いた瞬間、冷たい空気が一気に流れ込んできた。
通路は真新しい白い壁で、まるで最近塗り直されたかのように綺麗だった。
その白さの中に、不自然に黒い人影のような染みがいくつも浮かんでいた。
立っている姿、しゃがんでいる姿、手を伸ばしている姿━━形はすべて違う。
Sさんは思わず近づいた。
染みは壁に焼きついた影のように見えたが、懐中電灯を当てると、かすかに動いていた。
ほんの少し呼吸をするように、壁の中で揺れている。
「…これ、ペンキの下で何か…」
Tさんが言いかけたとき、通路の奥から「カサ…カサ…」と何かを引きずる音がした。
三人は同時に振り返ったが、そこには誰もいなかった。
「今の…聞こえた?」
「うん。誰かいる?」
音は徐々に近づいてきた。
足音とも違う、湿った布を床で擦るような音。
懐中電灯の光を向けると、通路の奥の壁の影がゆっくりとこちらに伸びてきた。
その瞬間、Tさんが悲鳴を上げた。
壁に浮かんでいた人の形の染みが、ひとつ、ぬるりと壁から剥がれていったのだ。
影のまま床に落ちるように動き出し、這うようにSさんたちへ向かってくる。
「逃げろっ!」
三人は一斉に階段へと走った。
背後で無数の影が床を這うような音が追いかけてきた。
階段を駆け上がる途中、Sさんは強い耳鳴りに襲われ思わず足を止めた。
そのとき、耳のすぐそばで誰かが囁いた。
たすけて。
声は掠れていて、男女の区別もつかなかった。
だが確かに壁の中から響いていた。
Sさんは息を詰め背後を見た。
壁の表面には、手の形をした黒い跡が浮かび上がっていた。
必死に駆け上がり、ようやく地上の扉を押し開けると外の空気が押し寄せた。
三人は建物の前でしばらく動けなかった。
息を整え、互いの顔を見合わせても、誰も言葉を発せなかった。
翌日、Sさんは資料を調べに行った。
だが、旧管理施設の設計図にも報告書にも、「地下三階」以降の記録は一切残っていなかった。
管理会社に問い合わせても、「その施設は二階までしか造られていない」と言われた。