山好きのNさんから聞いた話。
梅雨のある日、彼は地元で有名な渓谷近くのキャンプ場にテントを張った。
天気予報では小雨程度と聞いていたが、その日は一日中土砂降りだった。
夕方、暇を持て余したNさんは、雨音を聞きながらテントの中で地図を眺めていた。
ふと外に出ると、霧が立ち込める中、渓谷を挟んだ向かいの山肌が目に入った。
雨で濡れた岩壁がぼんやり光るように見えていたが、何かが岩の間から浮き上がっているように見える。
最初は雨のせいで目がぼやけたのかと思ったが、どうやら本当に何かが動いている。
目を凝らすとそれは岩山ほどもある巨大な人影だった。
岩と同じような質感の肌を持つその影は、どっしりとした老人の姿をしていた。
目鼻立ちがはっきりしていて見上げるような高さだ。
Nさんが呆然と見つめていると、老人の顔がこちらを向きにっこりと笑った。
だが、その笑顔はどこか寒気を感じさせるもので、Nさんは言い知れぬ恐怖に襲われたという。
その直後、老人の姿はまるで霧に溶けるようにすうっと消えてしまった。
翌朝、雨が止んで快晴となったため、Nさんは麓の町まで下山した。
麓の居酒屋でこの出来事を話していると、店主の老人がこんなことを言った。
「それは『岩老(いわおじ)』だな。この山に昔からいる巨人の守り神みたいなもんだ。
岩老が笑ったなら、もう大雨の心配はない」
確かにそれ以降、しばらくの間は晴天が続いたそうだ。
Nさんは「山の中にはまだ人知を超えた存在がいるのかもしれない」と真剣な顔で語っていた。